2012年8月3日金曜日

独善的フィリピン人観

フィリピン人は、、

 フィリピン人はどうだ、こうだ、と一口に言えるものではないことは当然なので、このタイトルでフィリピン人を語ろうなどとは思わない。
では、さようなら。

 という訳にも行くまい。
なぜならば、いわゆる一般的日本人と、一般的なフィリピン人とは、どうみても違いがあると言わざるを得ない部分が確かにあると思うからだ。

 それはどのようなときに判明するか、、、。
たとえば、時間を決めて待ち合わせをする。アポイントを取った。
相手はその時間に来ると言う。
電話まであった。

 だが、その時間になっても、、来ない。
まあ、それはいい。こちらは日本人の持つ”良心的解釈”によって、自分が満足しているわけだから。その満足は待っている間だけの満足であると言うことに、ほどなくして気づかされることになる。

 遅れました。「すみません、お待たせしまして。」この一言を言えば、日本人相手ならば、まずとんでもないことにはならない。大げさに言えば謝罪と言うのだろうが、謝罪と言う言葉は大げさすぎるからこういう場合は使わない。実質的な損害もない訳だから。
そうではなく、「遅れてごめんなさいね、あなたに迷惑をかけてしまって」という一言があれば後のことは円滑に行くのだ。自己満足はその瞬間に満たされる。

 ところが、フィリピン人の場合は、もちろんすべてとは言わないが、比較的多くの人が、「sorry to late...」とは言わないようだ。
そのかわりに、聞きたくもないexcuseを聞かされるはめになる。
「道路が混んでいた」「人が来てしまった」云々。

 はじめは実に驚く。まるで当たり前みたいに笑顔で来られると呆れる。しかし、いちいち遅れた理由と今後の改善をするのかどうかなどを突き詰めていくと今後も差し障りがあるだろうから、小生の場合は何も言わないでおく。

 はじめは、むっと来る。いわんや、時間の十分前には現地到着の癖が長年しみ込んでいる日本人ならばをや。

 が、あるとき悟った。
ここはフィリピンなのだ。そういえば、名古屋人には「名古屋時間」というのがある。
会議が1時からなら実質開始は1時半というあれだ。そう思えばいいのだ。

 フィリピン人には「フィリピン時間」があるのだ。
こちらも”堂々と”遅刻してもいいのだ。(多分しないだろうが)
このように考えるようになってから、フィリピンでは時間が緩やかに過ぎていくようになった。そして、それまで時間を気にしまくっていた自分がアホに見えてくるから不思議だ。ちょっとだけフィリピンに染まったのだらふか?

 ※以前書いたが、日本人から見たら時間を守る(守るどころか時間の十分前に待機というフィリピン人にはあり得ない)タクシーの運転手は、実に実に信用できたのである。




0 件のコメント:

コメントを投稿