2012年7月28日土曜日

日本は暑い!!

連日猛暑


我が家の周辺では、気温がなんと!37℃、38℃という人間の体温かそれ以上の気温なのだ。
もうたまりません。暑い!
「暑い暑いと行っても涼しくはならん!」と昔父親が口癖で言ってたっけ。
でも、涼しくならないことは承知で言うと「暑い!」のだ。

夜通し25℃以上あると寝苦しい。
日本の場合は湿度が高いので、今の時期はフィリピンの夜の方が過ごしやすいのではないか?今月滞在していたときには夜中はエアコンを切って寝ていた。足を出さずに寝ていた。
そうだ、やっぱり日本の方が暑いぞ、これは。

我が家の犬は、屋内犬だけれど、すっかり暑さに負けて、、、寝てばかり。
そりゃそうだ。全身を毛で覆われているんだもの、暑いはずだよ。
タイルの上でベターッと伏していびきをかいて寝る。しばらくすると移動して場所を変えてから寝る。それの繰り返し。

小生は、場所は変わらないけど、隠居の身の上。余計な銭は使うまい。外出無用の猛暑。下手にエネルギーを放出しない方が得策なのだ。
えあ腹筋を少しするくらい。
熱中症で倒れたことがあるから、それ以来、高温多湿型猛暑には弱い。

2012年7月22日日曜日

電力不足は嘘!

再稼働?そんな資格ねぇっつぅの!

日本に帰国したら梅雨明け、猛暑、そして一気に低温状態。
そして九州地区では災害、さらに追い討ちをかけるようにまた雨。
どうなっとるんじゃい!

さて、関西電力が大飯原発を再稼働させると同時に火力発電を8基停止。


なんのことはない。「嘘つき関電」「日本は電力不足ではない」ことがばれてしまった電力関係者と官僚と日本政府および政治家。
原子力発電というのは発電が目的ではなかったことはもう日本国民にわかってしまった。
言葉では「原子力の平和利用」と言いながら、実は核開発のために使われており、そのときにまわすタービンの力で発電しているのが原子力発電なのだ。
核兵器開発は実は日本で行なわれてきた。日本国民にわからないように。
時の政権は自民党、そして現政権の民主党に引き継がれてきた。
核物質は英国など西側諸国やイランなどにもおそらく流れたであろう。
(だって、その仕返しが3.11だっていうじゃねぇか)
もしかしたら北朝鮮にも?そりゃそうだろう。
北朝鮮のミサイル開発には三菱の技術が供与されてきたのだ。戦前からの利権構造は今も変わらずに生きている。日本人は自国の技術を相手に供与して、それでミサイル飛ばされて驚き恐れている滑稽な国民だと、一部の人間は気づいている。
米国の黙認のもと(賛成派と反対派がいたらしい)、自民政権で核開発はこの日本で行なわれてきたのだった。
そして、核廃棄物の処理に付いては、今もって何ら安全な対策はとられていない。
第一この国に10万年も保存できる場所などあろうはずがない。そのような策を何もとることができないままに、原発を再稼働するなど狂気の沙汰なのだ。
それに賛成する議員は旧政権の人間や現政権にも多数いる。なにせおいしい利権の味を知っているのと、「あんた、今更反対したらどうなるかわかっているよな?」という恫喝も当然あるだろうよ。評論家とか言うのは自分で考えている人間は少ししかいない。
権力側から金をもらって彼らに都合のいい本を書く。
「やらせ書評」で好評価にすることくらいは朝飯前だ。

 この国に、原発を稼働させる資格など、、ない。

 バカ議員は「皆さん、江戸時代に戻っていいのですか?」だと。

「おぅ、上等だよ、戻してもらおうじゃねぇか!そのほうが人が苦しんで死んでいくのを見なくてすむってもんだぜ。」

2012年7月20日金曜日

フィリピンでのタクシー利用


タクシーはご指名で


 「タクシーで遠くまで行かない方がいいですよ。遠回りしてカモになりますから。」
と某セールスマネージャーが忠告してくれたので、さて、どうしたものかと思案したが、「メータータクシーなら安心です」というのでホテルではそのメータータクシーというのをお願いした。

 最初はホテルからイミグレまで乗せていってもらったが、大変親切だったのと、迎えにくる時間の10分前に待機していてくれたことがひじょうの私の気に入ったのだ。
万事こうでなくてはならない。

 イミグレに送ってもらう途中で、「帰りはよろしいでしょうか?なんでしたら迎えにきます」というのでお願いした。電話番号と名前を聞いておいた。ただ、何時に終わるかわからない用事だったので、「時間はわからないよ」と伝えたら、「いいですよ、用事が終わったら電話してください」とのことだった。

 実際、イミグレの用事は終了予測時間がわからない。この日は予想外に早めに用事が終わった。
某氏の携帯に電話すると「すぐに行きます!」と言うが早いか「プップーっ」とホーンの音がするではないか。速攻だ。どうやら待っていてくれたようだ。
そりゃ700ペソの客だから大きいかもしれない。往復で1400だもんな。

HSBCにいったときも、
「1時間くらいかかるよ」
「OK,Sir」
だったが、結局2時間半もかかってしまった。
さすがに他の仕事に入っているだろうと思って電話したら、「OK,Sir!!」で、すぐに来てくれた。おそらく近くで時間をつぶしてくれていたのかもしれない。

時間に堅いのと、まじめな運転手だったのでそれ以来彼を呼んでいる。
料金はいつも「いくらで行く」とホテルから聞いているので、明瞭な料金なのだが、実は少し余分に渡しているのだ。

またお願いすることになるだろうから。




2012年7月18日水曜日

梅雨明け日本!

日本は蒸し暑い!! 

※せめて写真だけでも涼しさを感じましょう!(氷山の一角とはこのことなり)

 日本に戻ってきたのだが、真っ先に感じたことは、「異常に蒸し暑い!」こと。

梅雨が明けたらしい。「梅雨が明けたと思われる」という表現が使われるようになって数年が経つが、この言い回しが余計に暑苦しくかつ腹立たしく感じる。

  梅雨が明けたとたんに猛暑の連続。 フィリピンよりも日本の方が暑い。
それもはるかに蒸し暑い。まるでサウナ風呂だよ。
息苦しい蒸し暑さが日本の暑さだ。
 群馬県の館林市ではなんと39度超えたらしい。 きょうはこちらも37度だ。 

 実は、私はこれまでに熱中症に3回もかかっている。 (自慢にもならない)
それ以来、暑さにはめっきり弱くなってしまったような気がする。
代謝が良くないことはわかっているが、汗の出方が異常なのだ。
 大好きな高校野球観戦も、最近はご無沙汰している。 野球場でまずい状況になったことがあるからだ。 

 この時期、アクエリアスというのが必需品になっている。 軽い熱中症になってみるとわかるが、水やお茶よりもアクエリアスの方がはるかに身体の回復に違いがあることがわかる。ナトリウムとカリウムを摂取するからだろう。 

 日曜日に定例の公園掃除があるが、雨が降らないかなぁ。
都合のいい時だけ雨を願っても、そりゃぁだめだよなぁ。 

ともあれ、「受難の夏」が始まった。

2012年7月17日火曜日

資産運用(フィリピン編)

フィリピンでの運用は? 

まず、フィリピンで銀行口座を開設できるのは、通常、外国人登録証明書を取得した人間に限っている。  Saving(=普通預金)やTime deposit(=定期預金)があるが、定期預金は預金する日付によって、金利の設定が変わる。 これらは口座を開設して直ぐに預け入れることができる。 

ところで、投資信託などの資産運用商品は、その商品を扱うに際して、外国人に対して条件を設けている。
私の場合は条件に該当しなかったので、Bond Funds系の商品しか取り組むことができなかった。しかしながら、日本と比較するとかなり良い利回りを維持している。
ちなみに、その利回りだが、安定的な(例えば「リスク2」や「リスク3」の)商品は、平均利回りが7%台や、中には20%を超える商品もある。
「安定的で20%かよ!」
という声が聞こえてきそうだ。
日本人は、ひたすら日本国内で日本の銀行に預け入れ、「金利が低い、金利が低い」と嘆いている。だが、ひとつ海外に目をむければ、比較的利回りの高い商品はたくさん存在している。  フィリピンの場合は、リーマンショックでたしかに一時的には利回りが下がったが、実のところそれほど大きな影響を受けていなかったのである。
経済評論家は、理論的に説明しようとするが、それだけでは説明できないものが経済にはある。 なぜならば、経済は生き物だからだ。 

HSBCがプレミア部門を日本から撤退させたのは、日本の人口構成を見れば一目瞭然なのだ。 今でさえ歪な人口構成をしている状況を、さらに10年後ろにスライドさせたらもっと歪な構成になることは誰にでもわかる。産業における重要な要素を占める生産人口が著しく少ないからだ。若い人口が少ない。年寄りが多い。その年寄りは長生きする。病気で長生きする。昔なら死んだケースでも病院にかかるからなかなか死ななくなる。そうなると若い世代の負担は凄まじく厳しい者がある。
この人口構成だけを見ても、日本経済に将来性が見えてこないことは誰にもわかる。
「日本という国がマーケットとしての魅力がない」(HSBC談)ということなのだ。

一方、フィリピンの人口構成は、見事なまでにピラミッド型をしているし、10年後も、20年後もピラミッド型なのだ。 そして、ずっと経済成長は6ー8%くらいで推移している。

そうしてみると、「日本にいて、日本にだけ投資し続ける姿勢でいいだろうか?」と疑問を持つのが普通だと思う。 すべてを海外に移転しろとは言わないが(移転してもいいくらいに思ってはいるが)、もう少し海外に目を向けてはどうか。 

ちなみに、商品の中には年利回り20%以上のものがたくさんある。 フィリピンは経済の規模は小さいにしても、独自の成長を遂げてきているのだ。

もちろんフィリピンに限らず他のアジア地域でも同様かそれ以上に高利回りの商品はあ
る。それを知っている人は自分で調べて自分で取り組んでいる。

そしてそういういい話は誰にも言わないのが大事なことなのだ。

銀行で資料などを見せてもらうと、フィリピンは不思議な成長を遂げている国だとわかる。銀行の人も「レアなケースかもしれないが、今後も成長を続けるのがフィリピンです」と胸を張って言った。

教科書で勉強する経済とは違った生きた経済がここにあるような気がする。






2012年7月16日月曜日

永住権(クォータービサ)の情報

アジア地区では日本と香港だけ


情報によりますと、2012年現在、つまり、本年度から、永住権(この場合クォータービサのことを指します)を発行する対象国は、アジアでは日本と香港行政区のみとなっている。

中国と韓国(在日韓国人ももちろん)ははずされている。
中国が外されたのは外交問題を抱えているからだ。
シナ海の領有権を中国があからさまに主張し始め、日本のみならず、フィリピン、マレーシア、ベトナムあたりともめている。『日刊まにら新聞』でもこれらはよく取り上げられている問題である。

これを見て思うことは、さすがフィリピンだということ。中国の経済的な影響力が及んでも、フィリピンの支配層である中国系の華僑たちは、現在の中国政権のやり方を受け入れていないということだ。そしてはっきりと行動に出しているところがすばらしい。
敵対する国の住民を受けれていたら、その後何をされるかわからないのだから。

その点、日本外交は及び腰と無責任主義でだらしがない。

韓国人については、留学生や観光客のマナーの悪さがフィリピンでは有名である。
まず、ほとんど嫌われているのが韓国人だ。(中国人も負けずに嫌われまくっているが)
そのおかげで日本人の評価が(あくまでまじめな日本人に限る)相対的に上がっていることは確かに言える。で、韓国人には永住権を発給しないというきわめて賢明な措置がとられている。こんな人たちに入ってこられたら、国としても庶民としても嫌だからだ。

少なくとも、フィリピンは自国を守ろうという気持ちをちゃんと持った国であることがわかる。

ちなみに、日本人対象のクォータービサのエージェントは法人としては1社しか扱いを許されていないのが現状である。(もちろん他のエージェントについては個人的には知らないが、こういった業界はだいたいが察しがつくではないか。)

つまり、クォータービサの発給は、年々その取得が難しくなりつつあるということである。それをふまえて、今後クォータービサを取得しようと考えている人は、何らかのアクションを起こした方がいいと思う。

私のブログを知っている人はきわめて少ないが、かといって宣伝するつもりもない。
ちゃんとした手続きや体験談について興味がある人はご連絡くだされ。


2012年7月15日日曜日

コンドホテルもいいね!

再び コンドホテルなのだ  


※この写真は左側が"Parque Espana",右側は"Mondrian"(コンドミニアム)、そして木々に隠れているが前回宿泊した"ACACIA HOTEL"が見えている。

 宿泊したホテルは、「Parque Espana」というコンドホテルだ。 2人で泊まれるようになっている。一人でも二人でも料金は同じだ。

 部屋は、1BR スタイルで、あとで聞いたら、広さは55平米だそうだ。 リビング、キッチン、ベッドルーム、バス、トイレ、シャワー、そしてテレビ2台がついている。 アイロン台もある。キッチンにも、冷蔵庫、電子レンジ、コーヒーサイフォンなど揃っている。
毎日ベッドメイキングに来てくれる。
宿泊する面においては全く問題なく快適に宿泊できる。 

 食事は、ブレックファストは宿泊時にセットにしておくと良い。が、安くすませようとすれば、前日にモールかどこかでパンを買っておいて朝食べればよい。ランチとディナーはどこで食べようが自由だ。 コンドホテルにあるレストランは比較的美味しい。
そこの価格は300ー400ペソくらいか。 ランドリーはTシャツが一枚100ペソ、ポロシャツは一枚85ペソだった。 

 場所は、フェスティバルスーパーモールからコマースロードを西に歩き、右にアカシアホテルのある角を左に曲がって1分。モールからアカシアホテルもパルケエスパーニャも、モンドリアンも、ドン!とそびえているのですぐにわかる。 
今の季節は午後から雨模様。時々凄まじく雨が降るので、モールまで行くのが面倒になり、コンドホテルのレストランで食べることが多かった。
フィリピンで宿泊する時に嬉しいのは、直ぐにルームスタッフとレストランのスタッフが私の名前を覚えてくれたことだ。いろいろ話もできるし、こちらも気分がいい。
また泊まろうかという気にもなる。 

 コンドホテルは聞くところによれば、ピンからキリまであるそうだ。
料金だけで判断しない方がいいと思う。

あ、それと両替だけはしないほうがいい。
レートが恐ろしく低いからだ。

  私の場合はAGODAに登録して探した。
おそらく価格的には最も安く選択できるのではないかと思うし、体験談が参考になる。




2012年7月14日土曜日

永住権(クォータービサ)

『クォータービサ』


このクォータービサは、表彰状か認定書のような額縁に入れておくような、少し厚みのある紙質でできているのかと思いきや、そうではないのだ。

パスポートの頁にポンと判子が押してあり、そこに最高責任者(弁護士)の署名があり、手書きの文言も書き加えられている。
そして、別紙で、3枚一組の英文書面に「この者に、何々の法律に基づき、永住査証を発行する」旨の記載とそれぞれの責任者の自署がある。
個人的なものなので、写真を掲載できないのが残念だが、概ねこのような内容のものなのだ。

さらに、これが大事なのだが、「I-Card」が発行される
これが、俗にいうところの『外国人登録証』=エイリアンカードですな。
こちらは、どこかのゴールドカードみたいで、運転免許証よりも重々しい感じがする。
写真と指紋まで付いているのだ。
写真の顔が、どうも変だなと思ったが、仕方あるまいて、変な顔なのだから。
正面写真で眼鏡は外して撮影される。それが終わると斜めヨコ向き。
「はい、こっちを見て!」
といわれて、はっとして向いた瞬間に撮影されていた。

このイミグレカードだが、フィリピンを出国するときに、出入管の窓口で2,880peso支払ったのだが、もしかして、毎回支払うのかしらん。

フィリピンでは出国の際にはなぜか550peso支払うことが義務づけられているのだが、私の場合は、それに加えて2,880Peso余分に出費があるということ? 

げっげっ!


2012年7月12日木曜日

マカティとマニラとアラバン

マカティとマニラとアラバン 


マカティは、「ビジネス街」「金融の中心地」で、ダイナミックな経済の動きをイメージする。 
マニラ(いわゆる旧マニラ)は、伝統、古い時代、そして、喧騒、貧困、犯罪、女、といった、よくある歓楽街と歴史の混在したイメージ。 
アラバンは、静寂と気品、富裕層、居住地としての憧憬というプラスのイメージ。 そして、これから開発が行われる地域だろう。だんだんとモンテンルパからラスピニャスにかけてザポート通りの開発が広がるかもしれない。 

私のような海外からの永住希望組にとって、一つの投資作戦として、住むのはアラバンで、投資物件はマカティという方法もある。
マカティに住んでマカティの物件に投資している人もかなりいると思う。その方が多いのかな?
  私は投資姿勢の中に、自分の好み、つまり「好き嫌い」がはいるので、投資家には全く不向きな人間である。 ちなみに、投資に限らず、買い物の時に選ぶメーカー品にもそれが出る。 わたしの作戦は住むのも投資物件もアラバン一筋なのだ。 だから、多少の利回りについてはいちいち気にしない。 
 先日もマカティに行ったが、交通渋滞、ホーンの音、人の多さで疲れてしまった。 私は田舎者なのだろうなぁ。静かで、しかも何でも揃っている場所が理想なのだ。 

マカティに行く用事は頻繁にあるわけではない。せいぜい銀行くらいだ。
銀行とて、日常の用事はアラバンで済ませることができる。
空港に行く用事は帰国する時だけだ。
イミグレーションは一年に一度だが、これも代行してもらえる。 

旧マニラ地域といえば、エルミタとか、マラテなどが浮かぶが、ここは私にとっては、住もうという気が全く起きない地区だ。汚くて、臭くて、強盗にあうおそれもある。下手をすると犯罪に巻き込まれる。こういう場所が好きだという人も相当数いることは確かなようで、この辺りに住む日本人も結構いるようだ。 女を求めている男にはうってつけだろうが、犯罪と性病も常にセットでついてくるから注意が必要だ。

The Fire.(パサイ市で火事)

The Fire in Pacay City


 On the way to back to Abang,I saw huge fire. It occurred in Pacay-City at 3 pm. The black smoke was rising up to the sky. According to the newspaper,70 houses were burnt down. It was terrible.

2012年7月10日火曜日

フィリピン生活費

人により違う生活費 


フィリピンにおける生活費はもちろんその家族構成や、趣味嗜好によっても自ずと差が出てくる。 ここでは、「夫婦で余裕で贅沢な生活」は除外する。
  独身生活。生活費を切り詰めてギリギリの清貧に耐えるわけでもない。 かといって毎日昼間はゴルフ、夜は飲み屋通いでもない。豪華な食べ物、優雅で贅沢でもない。 まあ、「普通」と言われる生活のことである。

  ただし、条件がある。それは自分のコンドミニアムなど、自己所有物件に住んでいるということだ。 で、私の生活は参考にならないので(一ヶ月以内の短期滞在していることが多いのと、物件は所有しているが、リースはこれからだから)、長くこちらに住んでいる人(女性)から聞いた話を書くとする。 

 彼女は独身で、ビジネス街のマカティで生活している。 賃貸物件に住んでいるから生活費は家賃を除いた部分のはなしだ。 移動手段はタクシーが中心。 給与について細かく聞いたことはないが、毎日「スターバックス」に通っている。
実は、この「毎日スターバックスに通う」という言葉の意味するところは、聞き逃しそうで参考になる言葉なのだ。 だいたい、スタバに入ると、100ペソくらいは出費するものなのだ。スタバだけで100ペソ出て行くことがフィリピンで生活している人にとっては、結構きついものだということを認識する必要がある。 そして、時々、マカティの日本料理屋さんで食事をする。 服もダサくなく、ちゃんとしている。 洗濯はランドリーが中心。
 そんな彼女の生活費は、1ヶ月約4ー5万円だそうだ。
😱( ̄◇ ̄;)「ガーン!!!」

ここでの生活費は、家賃を含めていないことに注意!
 安い! 
どうも聞いてみるとコツがあるようだ。 
一般的にフィリピンでは電気代が高いといわれる。 その電気代で圧倒的に差をつけているのが彼女かもしれない。 どうやっているかというと、ここでは書かない。 意地悪!?いやいや、ここまでが無料の範囲なのである。ひひひひひ!

  考えてみると、フィリピンでの独身生活は人によって千差万別だ。 しかし、冬物がいらないというのは費用的には大きい。靴も夏冬同じで🆗オッケー。 ズボンなどはジーンズで十分。公の席(なんて滅多にないが)、例えばイミグレーションに行く時の服装は襟がついている服装(ポロシャツやボタンシャツ)が望ましいが、それは1年に一回だ。
あとはジーンズ3本あればどうってことない。Tーシャツやポロシャツはあふれるほどあった方がいい。もし私のように汗かきならば、だ。 
さて、そうなると、独身だと彼女が言うように5ー8万円(少し幅があるが)の生活でやっていけるのだろうと思う。 

 そう、安くなければ移住する意味がないじゃないか。 何でわざわざ生活費のかかるところへ移住しますか?
 ではまた。





2012年7月9日月曜日

コンドホテルなのだ。

滞在中は着替えを多めに


雨季だというのに、なぜか雨も降らないアラバンなのだ。
このところやたらと暑い。 暑いのは南国だから暑いに決まっているのだが、それにくわえて私が歩くものだから余計に暑い。
 実は、体調改善のために少し歩いているのだ。 水分補給は欠かせないし、汗もかく必要これ有り。
病根の根っこは深いが、少しでも身体のためにと思って歩く。歩くと暑いし、歩き始める前から汗が出る。 汗が出ればTーシャツが濡れる。濡れると洗う。 Tーシャツを自分で洗うと絞るときに伸びてしまうからランドリーに出す。ランドリーは無料ではない。 それが結構高い。 私は一日2ー3回着替える。

一日300ペソもランドリー代金に取られる。 ここのコンドホテルはTーシャツ一枚100ペソという高めの設定なのだ。

 私は滞在する日数よりも多めの服を持参する。その上にランドリー代金を支払っている。 何だか汗かきというのは損しているような気がする。
で、あるからして、全く汗をかいていない男をみると無性に腹が立つ。
「汗をかけ!この野郎」(アッ、失礼!)
ルームクリーナーが汗かきながら動いているのを見ると、微笑ましい。

  ちなみに服の色だが、 汗かきの人間が汗が出ると濡れていることが丸わかりになるような色の服を着るとみっともない。 グレー、ベージュ、オレンジ色、黄色は,汗が出ていることがわかりやすい。 だから、純白や紺色、黒、といった系統の色がいい。

タンガリーとかシャンブレーのシャツは実は中年以降の人間がさらりと着こなすと案外かっこいいのだ。 かっこいいが、汗が出ると気の毒なくらいに色が変わってしまい、いきなりやさぐれた中年オヤジに早変わりする。 それが私なのである。とほほほほ。
「汗でびっしょりです」と口では言わなくても服が代わりに言ってくれている。

スポーツ用の乾きやすい素材のポロシャツはすごくいい。 
汗かきさんはたくさん服を持っていこうね、という話なのだ。

間違っても同じ服を二日続けて着るなどという暴挙をしてはならない。
若者のバックパッカーならばいざ知らず、中年以降の人間は、そういうところにケチケチするものではないのだ。






2012年7月6日金曜日

アラバンは雨季

アラバンは午後から雨 

朝起きるとお日様が見えて、「あっ、きょうこそは天気がいいのかな?」 と思っていると、昼過ぎにポツポツと雨が降り始め、やがて暗い雲に街全体がおおわれて、ゴロゴロっと雷がなり、雨が激しく降るのがこのところの定番である。
定番って雨季なんだから、そりゃそうだ。 
たまらずフェスティバル スーパー モールで傘を買った。 最近、ほんの少し私以外の人がこのHPをごらんのようで(しかもアメリカやロシア、ドイツ、フィリピン、そして日本からのアクセスがあるようです)、ちょっと参考までに価格をいうと、この傘一本=235ペソだ。
高いのか安いのかよ〜わからん。
 
 こうやって毎日雨が降ると、無駄に外に出なくてすむ。 外に出るとモールに足が向かう。中にはいれば何か見る。何かを見るうちに、ふと衝動的に買ってしまう。
私の買い物は、コンドミニアムを含めて衝動買いと言ってよい。 コンドミニアムまで衝動買いかよ! そうですよ。 わたしの買い物はほとんど直感的な買い物なのだ。 後で最もらしく理由をつけているだけなのだ。 あ、良い!と感じたらイメージができて、それで買うパターン。 Tーシャツも、前回買ってしまった。 なんと、何とは無くぶらぶらしていると「Lee Shop」があった!と思った瞬間に欲しくなった。「これを見せて」と私が言うが早いか、すかさず店員も「カモネギ来る、楽しからずや」と、買うのが当然みたいに袋に入れる。で、630ペソ。 何だか、ちょっと高いような気がするなぁ、フィリピンの物価からいうと。 まあいいや。
雨続きとなると、他の部屋の客の中にもどうやら終日部屋に引き籠り状態の人がたくさんいるようで、部屋からテレビの声が聞こえてくる。
 外は雨が降っている。 わたしは、繋がりにくいインターネットをチマチマとやりながら、全く生産性のない生活を日本同様に送っている。 息を吸うだけで金がかかるこの浮世ってぇところで、それでいいのかい? もちろん、これでいいのだ(バカボンのパパ)。




2012年7月3日火曜日

アラバン

アラバン

 今、小生はアラバンに滞在中。 いやぁ、それにしても、さすが雨季ですなぁ。
毎日雨が降る。当たり前といえば当たり前か。雨季なんだからね。 
日本にいると「西の方が明るいからもうすぐ雨がやむね」などと言うのだが、ここフィリピンではちと違う。 雲が東から西へと移動しているのだ。 よって、東を見なければならない。
 昨日は昼過ぎまではよかった。が、東の空を見ると、ラグナの方から暗い雲が近づいている、と思う間もなくポツポツと降り始めた。 わかりやすい気候ですな。
 数時間降って止んだので、フェスティバルスーパーモールに、何とはなしに出かけた。
 10分くらいトボトボと歩いたが、蒸し暑いのなんのって。
たちまち汗びっしょり。 涼しいモールの中をフラついて、ふと時計をみるとすでに6時。 何か食べようってことで、ベジタリアンだけど魚類はオッケーな小生は日本食の店に。

 ここは、高級でも何でもなく(もちろんその方が安くていいのだ)、お好み焼きから天ぷら、ラーメン、果ては寿司まであるような何でも屋さん、日本でいう定食屋みたいなところかな。 弁当を食べた。215pだったかな。これでも高いかもしれない。ついでにお茶(ジャパニーズティー)を注文した。 出てきたのはティーパックを急須にいれたお茶で、これだけで湯呑茶碗に5,6杯はある。22pもするんだぜ。

弁当の味にケチをつけてはならない。普通の定食屋でしかもフィリピンの日本食屋なのだ。味付けはフィリピンスタイルに決まっているじゃないか。 客もフィリピン人ばかりだった(たぶん)。

 そもそも、海外で食べ物の味にいちいち文句を言っていたら、海外移住は無理なのだ。 食する喜びを知るべし。世界にはその日食えない人もいるのだ! 

疲れていたので、食後よろめくような足取りでフラフラと歩いて帰った。あたりは暗くなっていたが、とくに危険なこともなく誰にも声をかけられることなし。ここがオールドマニラと違うところか。 部屋について、何時の間にか寝てしまった。 
パソコンではなくiPadで書いているので、どうも勝手が違うが、まあ良しとしよう。

 アラバンは今日も雨だった。