2012年5月31日木曜日

Philippines Traffic

フィリピンの交通


フィリピンの道路(といっても私の場合は個人の車に乗せてもらってばかりだが)で誰もが目にするのは必殺「ジプニー」「トライシクル」。


 「ジプニー」は日本で言うと、乗り合いバスみたいな感覚だろうか。
停留所があるのか、ないのか、、わからない。
観察していると、だれでもどこでも乗れるような印象を受ける。

 行き先は「ジプニー」の前の方に書かれているらしい。
これが「ジプニー」。



 旧マニラでは(アラバンの中では走っていない)、料金が8ペソだと聞いた。
距離の長い大きな「ジプニー」の料金は、おそらくもう少し高いのだろう。

 エアコンはないし、窮屈そうだが、慣れれば便利だろう。しかし、この「ジプニー」の中でも泥棒がいるそうなので、油断も隙もない。乗らない方がいいかもしれない。

 次に、タガイタイあたりでよく見かけた乗り物として「トライシクル」がある。
ドイツ軍の軍用サイドカー(ほどかっこ良くはないが)みたいな感じの乗り物だ。
これが「トライシクル」。


 じつに活発に動いているのでありまして、追い越すときに危なくってしょうがない。
雨降りのタガイタイでも、しっかり働いていました。

 「トライシクル」の料金を聞くのを忘れてしまった。

 夜行灯が付いていないので、夜になると自動的に仕事は終わりってことだろうか。
雨降りは運転者も大変だが、客も大変だろうと思って見ていると、雨よけのビニールがついていた。でこぼこ道を走ると乗り物酔いになるかもしれない。

 これに加えて旧マニラあたりでは、自転車版の「トライシクル」が走っている。
これが交通ルールなどくそくらえ的な運転をするのであぶねぇのなんのって。

信号で止まっていると、急にぬーっと出てくる。

でも、車にぶつかったりこすったりしないところは運転が上手いんだ。

Philippines-Tagaytay

Tagaytay(タガイタイ)

アラバンからハイウェイに乗って南へ行く。途中からハイウェイをおりて一般道に入る。
街道の雰囲気ががらりと変わる。露店が目立ち、小さな家屋兼用店が軒を連ねる。
道を進むに従って、この街道のお店に一つの特徴が現れる。


豊富なパイナップルとバナナ 

 パイナップルバナナを売る店が多いことがわかる。もちろんマンゴーもある。
日本で「モンキーバナナ」と呼ばれる小さなバナナが売られている。ちなみに日本はバナナの大消費国らしい。

 それから街道の外側にはパイナップル畑が広がっている。だから当然パイナップルが売られているわけだ。私は生まれて初めてパイナップル畑を見た。実はヤシの実のように木の上の方にパイナップルの実がなっていると思いこんでいた。お恥ずかしい。
地中から少し延びたところでパイナップルの実を切り落とすんだそうな。

 それからもうひとつは、ハンドメイドの家具を製造販売している店が目につく。
それらを車の中から見てみると、なかなか日本では見られないような「作品」もあって興味深い。木製のベンチなどはけっこう手がかかって精巧なものがある。

 そうこうするうちに進行方向の左側にタール湖の「ボルケーノ」が見える場所に来た。レストランがあり、絶好の展望場所だ。「Inn」と呼ばれる小さな宿泊所もある。

が!しかし!


突然、雲行きが怪しくなったと思ったら、見る見るうちに暗くなり、ぽつぽつっと雨が降り出した。そしてあっという間に豪雨に。ワイパー全開。
ミスターL曰く、「これはこの地域の特徴です」
何も驚くことではないようだ。

ほどなくすると、小降りになった。

そのあと、どこをどう走ったのか覚えていないが、目的地のNurture Spa に到着した。


おぉ!癒しの空間!



さいわい、雨も闇陽が雲間からさしてきた。

Mr.Lは一旦仕事に戻って2時間後に迎えにきてくれるとのこと。
相方と二人で1時間半コースの"GINHAWA BODY MASSAGE"を選んだ。

 全身を包むハーブの香り、心地よい至福の時、、、、。

"Sir? Excuse me, Sir? "といわれてハッと目が覚めた。
眠ってしまったのである。

 Mr.Lがすでに待っていたので、皆でレストランにてオーガニックミールの夕食。

ま、そんなわけで、実にリラックスした半日だった。




2012年5月30日水曜日

Alabang.(アラバン)

Alabangに行く

今回の飛行機はドメスティックタイプだ。
座席は3−3で小さくて狭い。どのくらい狭いかというと、足組が全くできないほど狭い。
新幹線やJR在来線の座席の方が広い。今回は空席がない。

同じ姿勢で4時間半というのは50代の私にはいささかきついものがある。

朝飛行機に乗るのだが、ほどなくすると昼食が配られる。私の場合、特別食をお願いしている。これが他の人よりもずいぶん早くに配られるので、なんとなく妙な感じになる。
すかさず食べてしまう。

これまでは「チキンorポーク?」だったが、この5月からは「焼き肉orフィッシュ?」になったようだ。ちなみに私の場合はどちらでもない。

ようやくNAIA(ニノイアキノ国際空港)に到着。迎えをしてくれたデベロッパーのマネージャーの車でアラバンに向かった。それまでメールでいろいろやりとりもし、書類もEMSを使って送ったりしていたので、フレンドリーだ。

※EMSは危ない場合が多いという記事を見かけるが、私のほんの数回の経験によると、書類送付を依頼した日の翌日から4営業日か5営業日にはフィリピンに到着している。宅急便会社は「親書」(契約書類はこの部類に入るらしい)は海外向けには扱わない。

 アラバンというのはメトロマニラ南部のモンテンルパ市(高齢の日本人には有名な場所だよ)にある、いわば富裕層が住む地域だ。
ハイウェイを下りるといきなり「フィリンベストコーポレイトシティ」という地区に入るが、そのあたりはフィリンベストアラバンと呼ばれている。Festival Super MallやAsian Hospital、Palms Country Club、あるいは、西側にはNorth Gate Cyber zoneというビジネスセンターもある。ゴティアヌン財閥が率いるフィリンベストアラバンとアヤラ財閥のアヤラアラバンが隣り合わせになっているきれいな地域である。

 航空写真で見るとわかるが、アヤラアラバンの住宅はほとんどプール付きの邸宅である。フィリンベストアラバンは、Insurar Life本社やFilinvest社が本拠を構え、5つ☆ホテル、上記の施設、病院などがあり、新しいコンドミニアムが建設されたり、商業施設が予定されるなど、ゆったりとした発展を遂げつつある。
この地域はフィリピンの中ではひじょうに恵まれた環境である。
とりあえずはACACIA HOTELS(アカシアホテル)で一休みして、夜は一緒に食事。


余談だが、どうも天ぷらの油が私の体に合わなかったのか、蕁麻疹のような発疹が出た。もしかしたらホテルの石鹸剤が原因かもしれないが。





フィリピン人の味覚

「フィリピン人の味覚

甘いもの好き?


たとえば、天ぷらにつける醤油がなぜか甘いのだ。微妙な表現しにくい味がする。
率直に言えば、エビの天ぷらには合わない。よってわたしは塩を注文(無料です)して塩を付けて食した。この塩が偶然、「アジシオ」ではなくふつうの塩だったのが幸いした。


『豆腐ステーキ弁当』というのを食した。
まあ、味はフィリピンの味なんだろうということで文句はいうまい。
付属する飲み物が強烈なのだ。「japanese ice-tea」とある。これを見て連想したのは日本で言う冷たい『十六茶』のようなものだった。

が!

でてきたのは、お茶ではないなんだか甘い飲み物。中につぶつぶのタピオカが入っている。
これで飲めと言わんばかりの太いストロー。
これがjapanese ice-teaだとしたら大きな誤解である。

ふと、周りの客を見る。
フライにコーラ。焼き肉にアイスクリーム。
相方に聞くと、フィリピンでは普通なのだそうだ。

「あのなぁ、それって、どこかおかしいぞ、、、、、」

そういえば、アイスティーはガムシロップをつけるかどうか聞かれるのが普通だと思ったら、この国ではそんなものはない。いきなり甘いティーが出てくるのがごく当然のことである。そして、「スイーツをどうぞ」とくる。




スパイ天国だよ日本は

中国の書記官が工作活動 

それほど驚くことではない。 日本にいる大使館勤務員、企業経営者、あるいは大学教授などには工作員が多数いることは何十年も前からの常識である。 そもそも、日本の政治家や新聞社が外国の「立派な」工作員ではないか。今現在も、である。 中国当局から懐柔された日本人の政治家、企業経営者、大学教授などはゴロゴロいるにちがいないのだ。

 ところで、日中関係筋によれば、中国の工作員の主な来日目的は4つ。

 (1)日本の先端産業技術の獲得
(2)中国の政治、外交、軍事情報の収集
(3)対台湾工作の拠点の構築
(4)民主化活動家、チベット、ウイグル独立派に関する情報収集などだ。 

 こう言ったことに加えて、さらに中国人による日本の土地買占め問題がある。 そもそも、外国人に狭いこの国土を売ることを許していることが異常である。

水源地も買われている。
やがて日本人が中国人から水を買わなければならなくなるだろう。

 二十年後には日本の過疎団地は中国人で溢れかえるだろう。

  そして、現在、相当数にのぼる有害食品が日本に偽装表示されて輸入されていると思われるが、実態は解明されていない。

  要するに、好き放題されているのが実態なのだ。

Internet in Philippines.

Internet Environment.


In the Philippines, the Internet connection environment is not good.
Even among the hotel room, it does not connect.

iPad I took from Japan switches automatically from Wi-Fi3G to Wi-Fi.

It is certainly convenient.

However, when leaving the hotel, did not lead.



Is PC same result or only i-Pad ??


And I have got a question.


Is Mac sold in Alabang ?? (or Philippines?)









2012年5月29日火曜日

「クォータービサ」2012年度再開

進まぬ処理

クォータービサについては、昨年、組織の大改革があったこともあり、2011年度は募集がなかった。また、間の悪い事に、偽造したバカがいるとの事で、調査もしているという話が耳に入った。「いったいなんてことしてくれるんだ!」と内心腹立たしい思いだった。

 そういうこともあってか、2012年度も事務処理がなかなか進まない。
それはフィリピンの事情なので、こちらサイドではどうすることもできない問題である。
こちらはあくまでもフィリピン国に「審査していただく」立場なのだ。

 こちらも諸事情があり、少し時期をずらして申請してもらった。それでも結果的には2ヶ月ほどずれ込んだことになる。

 フィリピンが恋しくなってきた。
というわけでもないが、自分が住むとしたらどこがいいかな?ということは誰しも同じ立場ならば考えるだろう。
そこで、体調のいいときに渡航した。フィリピン2回目の渡航である。
今回はツアーで申し込んだ。またパビリオンだった。
まあ、同じような光景を見ただけだったので、ホテルの話はしない。

物件散策ツアーである。


「永住権」取得 Making a Bank Account

Make a Bank Account.

HSBC口座を持っているので、そのまま海外でも口座開設ができる。
(ただし、現在はHSBCのプレミア部門が日本から撤退した)

 HSBCは日本の銀行と違って、店頭というものがない。つまり、キャッシュを扱わないということだ。個室に通されて担当者とコンサルティングという形式を取る。で、ここでも担当者の個室に通されて、口座開設書類にサイン、本人確認書類(パスポートと運転免許証のコピーを取られる)提示、簡単な履歴(学歴、職歴、家族構成など)、それから資金予定やどんなタイプの口座に興味があるか、などを聞かれた。

 外国銀行は基本的に通帳というものがないので、日本人からすれば本当に預金があるのか不安になるかもしれないが、時々状況報告書が送られてくるので、それで確認するしかない。サインはパスポートに書かれている署名と同じであれば良い。

 やれやれ、これで、当初の目的は一応達成された次第である。

 もうひとつ大切なことは、HSBCは日本で口座があれば外国でも口座開設ができるのだが、一般的には、「クォータービサ」や「外国人登録証」がなければ口座開設はできないことになっている。
 
 だからいきなり銀行には入っていき、「口座作ります」といっても、そのまま「お帰りください」ということになる。
 参考までに、永住権取り扱い業者と提携している銀行では口座開設をしてくれるという話を聞いたことがあると書き添えておこう。


 この日はマカティの日本食店(名前は忘れた)で海老フライ定食(170Php)を食した。
パビリオンホテル近くの天ぷらやのフライはコロモが固すぎるが、この店のフライは比較的柔らかいので、パビリオン近くの店よりは良かった。
加えて、ご飯が日本米だったので、よりいっそう美味しく感じた。

この170Phpがフィリピンで生活するにおいて、果たして安いのか高いのは、まだ私にはつかめていない。

マニラの夕日は世界三大夕日の一つだそうだ。
夕日が沈む頃になるとマニラ湾沿いには人が集まってくる。





Philippine Air Lines

Philippine Air Line.

  I always use The Philippine Air Lines when I go to Philippines.

 It takes about 4 hours from The Centrair to Manila.
 There are two types of air plane in this line. One is normal type,the other is small domestic type.
 If You get on latter one,you absolutely feel narrow and small.
Uncomfortable space makes you worry wether this plane arrive at Manila,,,.
We must put up with this taugh time.

  But stuff are very friendly and kind.
  Recently the foods of plane was changed. There were two types "Chiken or Poke" so far.
 On May,the foods were "Yakuniku or Fish".

 As for me,I am a Muslim. I always order special meal for Islam.
But unfortunately it is not tasty than I expect.

 At any late,I am enjoying Mabuhay Lines!!

 Good Day !!

2012年5月28日月曜日

「永住権」取得 NBI

NBI へ

Quarantineで検疫が終了すると、写真を撮影に行く。
写真屋さんといっても、古いビルの入り口の通路がいきなり店になっている特殊構造だ。2階へ上がる階段の裏がわ=下側が撮影室になっている。
おじさんがデジカメで「Hi ! OK,OK,Cheese!」パシャっ!で終わり。
この店はすごいコストパフォーマンスの高い店かも。

次に向かったのがNBI
日本で「無犯罪証明書」を取る事は以前書いたが、クォータービサ希望者は、ここフィリピンでも無犯罪者ですよ、ということが証明されなければならない。
つまり日比両国で「無犯罪証明書」が必要ということ。

建物の外にまで人が並んでいる。おまけにエアコン無し。
ひえぇぇ!なんちゅうところ?

担当者に連れられてそのまま並んでいると呼ばれた。
ここでも指紋採取、顔写真を撮影。あと住所、氏名、年齢、両親の氏名(死去していても)云々を入力された。

指紋採取の時の担当官が凄く面白い人で、私が日本人だとわかるとたどたどしい日本語で
「あなたにっぽんじん?わたしパロパロね、あなたはパロパロ?」
「あ、あなたdivorced? Oh,singleね?ちょっとMaria、(手招き)この人にっぽんじん、いいおとこ。あなた(わたしのこと)この子(Mariaのこと)どうですか?」
ちなみに「パロパロ」とは浮気者という意味だそうで。とほほ。
なんだかゆかいな人たちだ。

なんだかんだといいながら、なんとかNBIでの作業というか処理も無事終わった。

ところでこのNBIには1日1000人以上もの人が来るらしい。

とにかく人の熱気と気温のせいで暑かった!ぐったり。。。

次は銀行口座開設。

「永住権」取得 Quarantine

「永住権」取得 Quarantine

いよいよ「Quarantine(検疫)」にいく。
ここでは健康診断をする。
おっと、大事な事を書き忘れるところだった。前日、担当者から「糞尿キット」が渡される。ちょうど「こんにゃくゼリー」の入れ物より少し大きめのケースを2個渡される。そしてアイスキャンデーの棒のようなものもついている。この3つが「糞尿キット」である。

ひとつのケースには尿を入れる。入れすぎても良くないし、少なすぎてもダメ。下から1cmほどのところまでにとどめるのがよい。

二つ目のケースにはウンチッチを入れる。
これには技がいる。なぜならば、このホテルのトイレは便器の排水溝よりかなり上まで水がたまっているからだ。空いている場所に”爆弾”を投下せしめねばならない。少しお尻の位置をずらしてみる。どうも横軸はいいが縦軸が短い。そこで、中腰のまま便器の前方ににじり寄るように動いてみる。そこで着地=落下点を定めてみる。まだ出してはいけない。
ふと横を見ると自分の凄まじい姿が大きな鏡に写っている。
中年男が下半身を露出して中腰になって便器にまたがりアホヅラをしているのが、寂しい。
「永住権への道は険しいんだ」と鏡の自分にしゃべって笑ってしまった。
「よし、この地点で良し!落下!」と口には出さないが心の中でつぶやいて、I did it!!

 一発勝負には比較的強い私だが、ここでも”運”が味方をしてくれた。見事な落下位置をキープしたではないか。さて、最終仕上げにあの棒が生きてくる。この棒で排出物をすくってケースにいれるのだ。失敗すると外出できないくらいのショックだろう。
慎重に事を運ばねばならない。ここでも多すぎてはならないし、かといって少なすぎても心もとない。まちがっても「もう一度とりなさい」という結末だけは避けたい。

燃料棒じゃなかったうんち棒でゴイっと1cmほどの塊をかきあげて慎重かつ迅速にケースに入れた。間髪を入れずにふたをした事は言うまでもない。

長くなったが、この「糞尿キット」をこぼさないように細心の注意を払いながら「Quarantine」に持参した。
そこは「うわぁ!ここが検疫というところですか!」と誰もがおどろくような場所だが、詳細については省略しよう。とにかく、ここで血液採取、問診、X線などの検査がおこなわれたのだ。

ホテル人間模様

ホテル人間模様(旧マニラ)





「買春と博打狂い」

このエルミタ地域の客層は、どちらかというと遊び人が多い(という気がする)。

モーニングのときにレストランで客を観察する。ティールームで観察する。
彼らの会話を聞く。

若い女性を連れた中年男や初老の男が結構目立つ。はじめはわからなかったが、正体が分かってきた。彼らは若いフィリピン女性を連れているのだ。
「連れている」という表現にとどめておこう。
客の男は日本人、朝鮮半島人、中国大陸人、および白人たちだ。日本人もいる。
聞くところによれば、ツアーで申し込むのだそうだ。女性もあっけらかんとしている。
貧しい出自の女の子が一晩客と一緒にいて昼食も朝食もたくさん食べられるからだろうか、それとも、根っからの明るさなのか、罪の意識のかけらもないのか、罪の意識ははじめはあったが、遊ぶうちに慣れてしまったのか、それはわからないが、とにかくあっけらかんとしている。

私の宿泊したフロアでは日本の関西から来た客が数名”戦果”をしゃべりながら廊下を歩いていた。聞くに堪えない言葉が飛び交いアホ丸出しの男たちだった。

フィリピン人に聞くと、フィリピンで一番嫌われているのが韓国人だ。次が中国人
日本人はまだいい部類だそうだ。それほどに半島大陸人の評価が低い。
理由を聞いたらさもありなん。
要するに韓国人や中国人はフィリピン人を見下す態度を露骨に取るからだ。
レストランでも「おい、コーヒー!」という態度なので、それは嫌われるさ。

もうひとつ、カジノを必死になってやっているのが中国人。まあ元来の博打大好き民族なので、熱くもなろう。これらがフィリピンに金を落としてくれるから、まあいいお客さんということだろう。

あと、中国人は団体行動でとにかくうるさい。
レストランでもよくしゃべる。
迷惑だからバイキング料理の前でくしゃみをするのだけはやめてもらいたい。




「旧マニラ」地域

「初めてのフィリピン」エルミタに宿泊 さて、必要な書類を送付したら、次は渡航しなければならない。 「永住権」取得のためには、合計最低でも3-4度渡航する必要がある。 今回は最初の渡航。 まず、団体旅行で海外に渡航した経験はあるが、一人ぼっちで渡航するのは今回が初めてである。 しかも、どちらかといえば危険度の高いと世間では言われるフィリピンに、である。 行く前に知人に言われたことは以下の通り。

 1)空港を出たら、人がよって来るかもしれないから気をつけるべし。
 2)迂闊にタクシーを使うべからず。(ぼったくられる恐れこれあり)
 3)人前で財布を開けるべからず。
 4)日本語で語りかける人間に注意すべし。
 5)日本人に注意すべし。
 6)夜間の外出は控えるべし。

  などなどである。実は、これらの注意書きは、フィリピンに限ったことではなく、海外全般に言えることである。 特に5)の「日本人に気をつけるべし」というのは重要で、フィリピンやタイでは、日本人を騙そうとする日本人がいるそうなので要注意だ。 6)については当たり前なので特に書く必要もあるまい。
 よく事件に出くわすのは、夜間に一人で危険な地域を歩いて事件に巻き込まれたというケースがを多いが、それは当たり前だと思う。

  NAIAに到着。 飛行機から通路に出た途端に暑い! 流れに任せて処理をしてもらって、いよいよ税関を出ると、何とそこはいきなり外なのだ。
たくさんの人だかり。身内の帰国を待ちわびる家族たちなのだろう。熱気と人だかりに圧倒される。 
あらかじめ業者に予約をいれてもらっていたマニラパビリオンというホテルに到着。 まあ、普通レベルのホテルだろうか。ホテルの目の前はマニラ警察。 ここはエルミタといわれる地域で、いわゆる旧マニラと言われるエリアである。
 ホテルの周辺は、、汚ない。路上には露店商が並ぶ。妙な匂いが立ち込める。何かを焼いている臭いだろう。 タバコ、お菓子、小物類などが売られている。誰も食べそうにない色の変わってしまったバナナ。 毛布の上に寝ている幼児。 人の後を付いて回る物乞いの少年。突然上がる奇声。 絶え間なく聞こえてくる車のホーンの音。 このホーンのうるさい音で初日は睡眠導入剤を飲んだにもかかわらずねられなかった。

 今回の重要な目的は「検疫」と「NBI」での証明、および、HSBCでの口座開設の3点である。

2012年5月27日日曜日

永住権の取得準備

「永住権」




というわけで、フィリピンにしようと思い立った。
何もすぐに移住をするわけではない。私には老母が健在であるし、家も複数ある。
さいわい借金がないと言うのが強みと言えば強みか。
さて、その永住権取得について。

「永住権」というものにも種類がある事がわかった。
『退職者の永住権(SRRV)』、特別割り当て永住権(クォータービサ)』、『婚姻による永住権』などなどがあげられる。このうち『SRRV』にしようか、『クォータービサ』にしようか迷ったが、結局、クォータービサ』にした。

ちなみに永住権や移住についてはこのサイトが大変公平な目で書かれている

後者については、たとえば次のような信頼できる専門の業者が取り扱っている。

どちらがいいとか悪いかは個々人の判断だが、いずれの方法も私が検討していた時と現在とでは状況が変わってきている。
状況が変わるとは、主に二つの要因で、資格条件が変わる場合があるのと、フィリピン側の事情でシステム変更などがあるため、当初予定していた取得期間とずれ込みが生じることがあるという意味である。まあ、これはいたしかたあるまい。
こちら側ではどうしようもできないから。

あらかじめ日本で用意しておく書類は、
1)パスポート、2)写真、3)戸籍謄本、4)無犯罪証明書(各都道府県の本部で依頼すれば十日ほどでできあがる。所定の日以降に取りにいく)、5)業者が用意した契約書
6)外務省や大使館への委任状(本来こちらがする事を業者に委任するから)
などなどである。

もちろん書くまでもないが、無料でやってくれる業者などない。所定の料金体系があるので、そちらが高いか安いかは個々人の判断になる。そもそも比較のしようがない。なぜならそれぞれの業者でアフターフォローに差があるわけだし、その違いを比較するにもこちらにはその手だてがない。したがって、50数年生きてきた直感で決めた。

さて、準備ができたら、いよいよフィリピンに向かうことになる。
「出番ですよ」の声を待つばかりとなった。。


フィリピンと祖父

「私の祖父」

私の祖父は、大日本帝国海軍の潜水艦乗りだった。
フィリピン沖の海戦で日本海軍は決定的な敗北を喫してしまう。
祖父たちは海軍でありながら陸へと逃げることになった。
多くの日本の将兵が体験したようにジャングルの中を飢えと病気と敵の攻撃におびえながら彷徨する日々が続いた。戦友たちはマラリアアメーバ赤痢などで次々と倒れていった。
祖父も熱が出て意識を失っていった。

気がつくと、小さな村に運ばれていた。村人が助けてくれたのだ。気に根っこのようなものを煎じて飲ませてくれた。そうしたところ体の状態が良くなり、手先の器用だった祖父は竹かツルだったかで籠を編んであげたら大変喜ばれたそうだ。

ほどなくして米軍の捕虜になった。米軍が、
「村人を殺した奴はこの中にいるか?」と聞く。誰かが「そうだ」といえばすぐに日本人捕虜は射殺された(まだ、正式な軍事裁判が始まる前のことだ。)

祖父の順番が来た。
「こいつは殺したか?」
背筋が凍る瞬間だ。
「違う!この人は何もしていない!」そう言ってくれた村人がいたのだ。

祖父はフィリピン人にもの凄く感謝しているといっていた。

この話を祖父から聞いたのは私が12才の時だった。この話の6ヶ月後、祖父は心臓発作で帰らぬ人となった。

私にとってのフィリピンはこの祖父の話から始まっているのだ。
日本人の中には日本に出稼ぎに来るフィリピーナを見下す人が多数いる。
私は「この人たちがどこかで祖父を助けてくれた村人たちにつながっているかもしれない」と思うと、フィリピンの人に強い親しみを持ってきた。

こういった原点があるので、フィリピンを候補にした。

しかしながら、当然、事は簡単には進まない。



移住計画

移住計画




どこに住むのがいいか?

これは個人の価値観によるしかあるまい。 しかし、少なくとも、私にとって、日本同様の先進国に住むことは意味がない。 なぜならば、経済的な負担が変わらないか、それ以上の負担があるからだ。 物価が日本の何分の一というような国でなければ意味がない。そのようないわゆる「発展途上国」に住むには、当然のことながら、いろいろな意味で日本では考えられない不自由さや危険がつきまとうことは当たり前のことである。

移住候補国

移住先として浮上してきたのが、フィリピン、タイ、マレーシア、インドネシア、台湾だ。 日本から近い物価は日本より安いか同等親日国家である、気候が暖かい(暑い)、などがあげられる。 このなかで重要なことは、各国の退職者永住権や普通の永住権を取得するための資格を私が満たしていなければならないということだ。
そこで消去法をとる。

「台湾と、インドネシア、マレーシア」
これらの国々は私個人としては大好きな国であるが、私がその国の求める基準を満たすことができない(年齢や年金最低額、言語、メイドの雇用など)から、残念ながら移住候補先としては除外とした。


「タイ」
この国は温厚な人々が多く、日本人にとっては住みやすいと聞いた。しかし、日常的な会話ではタイ語が必要であることも重要な要素である。英語が通じるならばいいが、一般的にタイ語を話さなければならないとなると実際問題として困る。 また、タイミングの悪いことに、タイで大洪水があった。あの様子を見ていたら、ちょっとタイはやめておこうということのなった。


「フィリピン」
フィリピンといえば頭に浮かぶのが、明るい笑顔、貧富の差、貧困スラム、交通渋滞、日本にいるフィリピーナとか、マニラの高層ビルなどであったが、
私にはもう一つ特別な思いがある。
そのことについて書き記しておきたい。
私は子供の頃からフィリピンという国には親しみがあるのだ。





2012年5月26日土曜日

Japan...日本はどうなる?

日本はこの先どうなるのか?





悲観主義者の私だからでしょうか?
どう考えても明るい未来が見えてきません。
それは私でなくてもそう思っている人が多いでしょう。

それでも明るい未来を見つけようとすると、明るい未来が来る前に、どうしても破壊が必要になると思うのです。明るい未来のために現在を否定する=破壊が待っているでしょう。
このまま行けば、いずれは破壊がやってきます。時期がいつかというだけです。
書籍やHPなどで日本の将来について詳しく書かれています。たとえ書籍を読まなくても、もうお分かりでしょう。肌で感じているでしょう?

確実にこの国は変だということぐらいは。


日本は、船に例えれば、沈没しつつある船なのです。逃げ出せる可能性があるかどうかだけです。
しかし船自体が沈むことだけは確実なようです。

こういう状況におかれても多くの日本人は動きません。
なぜならば自分で考えて動くという習慣がないから。
いや、自分で考えてはいるのでしょう。そこには重大な日本人の欠点があります。

日本人というのは自律的な行動形態を取らない国民なのです。


日本人の多くは自分の立脚地がないために、他人の行動によって自分の行動が決まっていく習性があるのです。他律的なのです。


だから、「隣のあの人だってまだいまのままだから別にいいんじゃない?」となります。
そうはいっても今日も仕事があるから出勤しますよね。
いつもどおり、TVでお笑いやってるし、なんか外国は大変だけど、日本は一日三回のご飯がいただけるし、電車も時間通りに来るし、、、、。
自分だけが困る訳じゃなさそうだし、、。
よく引き合いに出される「茹でガエル」そのものが日本人です。
ゆっくりと環境が悪くなると、かなり悪くなっても気づかないのです。
そして、船に例えれば、沈み始めてもまだうっとりしてコンサートを聴いている、、、。

大震災と津波で東北は壊滅。放射能は今も出続けています。
収束宣言??そんなものあり得ません。わかるでしょ?

それどころか、放射能で汚染されたがれきを自治体に引き受けさせ始めました。東京都の土地はすでに汚染地になっています。もう東京の土地に価値などありません。静岡の島田市も受け入れる。北九州市は受け入れたとたんに放射能測定カウンターの数字があがりました。福島の郡山では子供たちに異変が起き始めています。

この先、日本各地で放射能汚染がれきが押し付けられていくでしょう。
沈んでいくタイタニックに気づかない人には何を言っても無駄です。

私は(財政の面から)日本が崩壊の道をたどるという気がしていたので、早めに手を打とうと考えていました。永住権を取得することは2年前から考えていました。
しかし、残念ながら病気で倒れてしまった。2年冬眠せざるを得ませんでした。
ようやく、昨年末頃から少し動けるようになってきました。

さいわい、乗っている船はまだ沈んでいなかった。

しかし、この2年間で、大震災、その後の稚拙な対応、世界の政治経済悪化云々、もっと悪くなっていった。

でも、今からでも間に合う。幸い無借金だ。
まだ打つ手は残されている。
それが私に取っては海外の永住権を確保することでした。

永住先が滅んだら??そのときは運命に身を任せるしかないでしょう。
その前に打てる手は打つというのが私の考えです。
人事を尽くしてあとは神にお任せする。





Philippines (traffic)

How do you feel about Philippines?
Good images or bad images?

There are lots of images.For example,lots of islands,natures,dirty,rich and poor,heavy traffic,stealers,murders,friendly people,beautiful beach,diving,etc.

Probably the above are all true,I think.
Before I went to there for the first time,I have got a lot of images of Philippines like you.

I have been to there on January 2012.
Manila is very famous for its heavy traffic. And I understood it was true thing.
And in addition, loud horn of the cars did not make me sleep.
But strangely,I used to annoying sound in the 3rd day.

Why do they sound the horn even if they know their cars can not run smoothly??
It does not seem there is a traffic rule.
The walkers across the road every time, everywhere.
Suddenly children and old men appear and sell something to drivers.
Though I feel some stress by them,these are a daily sight of Philippines.
Do not worry. You do not need 3 days to used them.

But I do not recommend you driving a car on the road of Philippines.

2012年5月25日金曜日

はじめに

はじめに


こんにちは、Dimaです。Dimaはロシア人男性のドゥミトゥリーの愛称です。
ロシアの友人が私を呼ぶときに「Dima」と呼びますので、そのまま使っています。

国籍:日本、性別:男 職業:リタイア

リタイアというと定年退職を迎えたのかと思われるかもしれませんが、実は病気退職です。
そんなわけで、世間で言うところのいわゆるニートオヤジになるのでしょうか。
住所特定無職、、、です。あ、年齢50代半ば。ついでに言うとバツイチです。
世間的評価でいいますと、社会的地位は無し、妻も無し、定職無し、体比較的弱いということで、「負け組」も「負け組」、野球で言う「コールド負け」に属するのでしょうか、ははは。しかし、、、本当は、、まぁそれはいいでしょう。。

子供は親の私に似ず、なぜか優秀な男女が一人ずつ。

自己紹介はこれくらいにしましょう。

私は、現在、密かに移住計画を進めているところです。
そんなことも交えながら、このブログというのを好き勝手に書いてみたいと思います。