2012年5月27日日曜日

フィリピンと祖父

「私の祖父」

私の祖父は、大日本帝国海軍の潜水艦乗りだった。
フィリピン沖の海戦で日本海軍は決定的な敗北を喫してしまう。
祖父たちは海軍でありながら陸へと逃げることになった。
多くの日本の将兵が体験したようにジャングルの中を飢えと病気と敵の攻撃におびえながら彷徨する日々が続いた。戦友たちはマラリアアメーバ赤痢などで次々と倒れていった。
祖父も熱が出て意識を失っていった。

気がつくと、小さな村に運ばれていた。村人が助けてくれたのだ。気に根っこのようなものを煎じて飲ませてくれた。そうしたところ体の状態が良くなり、手先の器用だった祖父は竹かツルだったかで籠を編んであげたら大変喜ばれたそうだ。

ほどなくして米軍の捕虜になった。米軍が、
「村人を殺した奴はこの中にいるか?」と聞く。誰かが「そうだ」といえばすぐに日本人捕虜は射殺された(まだ、正式な軍事裁判が始まる前のことだ。)

祖父の順番が来た。
「こいつは殺したか?」
背筋が凍る瞬間だ。
「違う!この人は何もしていない!」そう言ってくれた村人がいたのだ。

祖父はフィリピン人にもの凄く感謝しているといっていた。

この話を祖父から聞いたのは私が12才の時だった。この話の6ヶ月後、祖父は心臓発作で帰らぬ人となった。

私にとってのフィリピンはこの祖父の話から始まっているのだ。
日本人の中には日本に出稼ぎに来るフィリピーナを見下す人が多数いる。
私は「この人たちがどこかで祖父を助けてくれた村人たちにつながっているかもしれない」と思うと、フィリピンの人に強い親しみを持ってきた。

こういった原点があるので、フィリピンを候補にした。

しかしながら、当然、事は簡単には進まない。



0 件のコメント:

コメントを投稿