2012年6月30日土曜日

日本も動乱時代に突入か(2)

政権にノー!
 

 オザワンと輿石氏との会談は月曜日にずれ込んだ。 この二人が会談している内容は、
「オザワン先生、なんとかご理解を」
「いや、ダメダメ消費然法案を撤回しなきゃダメ」
 という単純な会談などしているわけがない。

現段階では、オザワン発言を聞いて野田が上から目線でものを言える状況ではないのだ。

「内閣不信任案を突き付けるぞ!」
まちがいなくオザワンは輿石氏に言ったはずだ。

「ねぇねぇ、オザワンは何って言ったの?どうするつもり?なんとかしてよ。」
と、野田は内心びくびくしながら輿石氏に伺いをたてていることだろう。
そこで輿石氏。彼はもともとオザワンに近い人物なのだからもちろんわかっている。
自分の役割もわかっているだろう。

 輿石氏はオザワンの新党設立で民主党を辞任するかもしれない。自身の年齢と今後も考えた時に、おそらくそういう考えは当然脳裏にあるだろう。


 さて、原発再稼働は野田が強引にことを進めた。 しかしこの男の言うことは無茶苦茶なのだ。二枚舌どころか、論理に一貫性がない。 「総理の私が判断した」というが、それには当然責任がついているはずだが、「責任はない」旨の発言をしている。 普通ならば、東電を始め初動における指示混乱と被害責任をとって腹を切るベキ人物なのだ。

 ところが、「東電も閣僚にも責任はない」と閣議決定したというではないか! 
もう空いた口が塞がらない。
 それから、「東京電力福島第1原発事故後、初となる国の原子力総合防災訓練について、計画作りを指示された原子力安全基盤機構が「最悪ケースの想定は避ける」として、福島事故で起きた炉心溶融(メルトダウン)を除外するなどの方針をまとめていたことが30日、分かった。共同通信が情報公開請求で計画案を入手した。」 という驚くべき記事が載った。

 あのねぇ、あの大震災と津波の被害の責任を「想定外」で逃げたのは誰だよ。 今なお、政府も東電も認めないけれども、多くの日本人が関係者の証言で「炉心溶融」してしまっていることを知っており、水が無くなれば大爆発ということも知っている。
それでも「最悪のケース想定は避ける」のかい?原発に想定外など存在しないという事を全く生かしていない。 次に災害が起きた時にも「想定外」で逃げる気かい! 

 誰も、何も責任を取らない。 今後も想定外の災害としておく。
なぜならば、原則的にあり得ないことになっているから。バカじゃないか?
で、原発は危険だけれども再稼働させる。安全対策は取られていない。 それを国民が知った。
 「再稼働?冗談じゃない!」と怒りが爆発し始めた。初めは少ない人数のデモだった。それが増えはじめ、15,000人、次に45,000人、そして金曜日には150,000人以上(200,000人とも言われる)のデモ行進が行なわれた。このまま行けばやがて50万人、いや100万人規模になるだろう。

 消費税も、、、 

 消費税法案を急ぐ背景は、官僚と経団連の圧力。そして誰が喜ぶか、官僚と経団連(に所属する会社)。 最後に実は一番喜ぶのは、株主になっている外国金融機関。それを所有しているのは誰か? で、分かるよね。 

 さて、消費税は企業の売上から仕入れの消費税を引く。
企業の売り上げは国内売上と輸出売上とに分かれる。 このうちの、輸出売上の消費税は差し引きされない計算になっており、還付される。
だから、消費税がアップすると、輸出企業に税金が還付されることになる。
株主の利益配当につながる。 だから、国民のことを考えて消費税をアップさせようとしているんじゃないってこと。
 むしろ、国民の生活が疲弊していくことを望んでいるんだ。
 そのために働くのが野田たちの仕事。経団連や官僚も用事がなくなれば不用物となる。
 誰が最後に笑いますか? 

 そういう遠大なシナリオの通過点にいて、それを進める側と、それを止めようとする側が、せめぎ合っているのが、今。




日本も動乱時代突入か(1)

政権にノー! (1) 


              (※小沢先生のHPより拝借)
 小沢一郎、鳩山由紀夫のコンビで民主党が政権を握ったのもつかの間、「官僚、政治家、米国の意思が働き」鳩山氏は贈与問題で失脚に追い込まれた。民主党のオーナーを引き摺り下ろした勢力は、次にオザワンを政界から葬り去ろうと画策。西松建設、水谷建設、陸山界帳簿、秘書逮捕と次から次へと検察(仙谷、菅、前原、枝野の反小沢陣営と官僚、そしてそれを動かす勢力などの意図が働いている)のくり出すでっち上げ攻撃に耐え忍んできた。
 しかし、もともと何も悪いことがなかったのを無理やりでっち上げてきたので、結局いろいろなボロが出てきて、検察側がインチキ逮捕をしていたことがばれてしまった。
 焦る反小沢陣営はあろうことか、松田何某というフリーの物書きを使って週刊文春にスクープを出させた。オザワンの奥さんまで巻き込んだ偽造離婚状をでっち上げたのだ。

 しかし、これも、どう文体というのは隠せない。どう読んでも男が書いた文章だった。そして次は手紙を写し書きして後援会会員や、他の国会議員などに送りつけた。だが、アホをたくさん集めて陰謀を画策しても、緒戦はアホばかりだ。手紙を書いた人間が字を間違えていた。通常自分の名前を書き間違えることはない。このような幼稚極まりないボロが次から次に出る稚拙な「攻撃」(というか相手の自爆)で、これまた「やらせ」だったことが発覚してしまった。
 オザワンも奥さんも泰然自若としてビクともしなかった。


 凄いのは、オザワンはこの数年間いじめられっぱなしなのに、何もぶれることなく、受けて受けて受け切ってきたということだ。 
 消費税上げについての法案を三党の合意ということにして、強行採決する運びとなった。野田は焦りまくる。無理無理自民党と公明党と協議して、三党合意に持ち込んだ。
オザワンを切る見返りに解散選挙だ。 野田も、仙谷も甘い。「小沢につくのは数人だよ」などとしゃあしゃあと言ってのけたという。自民党もオザワンさえ切れば、あとは民主党から政権奪取できると目論んでいた。
 ところが、だ。流れはオザワンにあることくらい、幅広くネットで情報をつかんでいる人間側から見れば、容易に判断がついているのだが、現場のお偉い先生方には全くそれが見えていなかった。衆議院での投票ではなんと消費税法案に反対する議員が57人も出た。オザワンのグループはますます結束を固める。
 田中角栄から流れる伝統の「鉄の結束」は健在だ。鳩山氏ももちろん消費税反対だ。オザワンについて行く議員たちは武士のような気迫が満ち満ちていた。腐ってしまった日本の政治家の中で、求められている政治家がちゃんと健在していた! 良識ある国民はオザワンについて行った議員の数を見て「ヨシ!よくぞやってくれた!」と思ったにちがいない。
 利権も関係なく、国民にとって、消費税を今引き上げることが必要かどうか考えたら必要ではないということは誰でもわかる。しかし、利権に走るバカには何も見えていない。

 経団連と官僚と米国のために働く議員は日本国民のことを考えてくれなかったことが、今回の投票でよくわかった。 野田の言う 「政治生命をかけて」というのは国民に対してではなく、利権集団に対して言っていた言葉だったのだ。 それでもオザワンを貶めたいマスコミは「造反」というレッテルを貼って記事を書く。
 造反したのは誰だ!?マニフェストをなにひとつ実行できず、原発の処理もできず、そればかりか活断層の上に立っている原発を再稼働させるに及んでは、菅直人、枝野、仙谷、野田、岡田、前原、安住、などなどの面々こそが、造反者でなくてなんだろうか?
 
  消費税法案は可決され、参議院に持っていかれる。しかし、今、オザワン効果があまりに大きいために、民主党は完全分裂、キャスティングボードを握ったかに見えた自公も逆に消費税法案賛成を三党合意でやったために、引くに引けない状況になってしまった。
ざまみろだ。 オザワンと輿石が会談を持っているが、ここからはオザワンの作る流れになる。新党結成するためには無理な要求を野田に対してしてやれば良い。飲めないならば離党して新党だ。 数はもっと増えるかもしれない。 面白くなってきた。ようやくオザワンが表舞台に上がる準備ができ始めたのだ。

※あぁ、久しぶりにすっきりしたぜ!


2012年6月25日月曜日

原発反対ーあたりまえだ

原発反対! そりゃそうだろ!


 3.11東北大震災時の地震、津波と、それによる原発の事故、及び3.14の3号機核爆発事故によって、今や壊滅状態になっているのが福島を中心とした東北から関東にかけての東日本だ。 
総理大臣は「事故収束宣言」を出し、早々と原発事故を過去のものにしようと画策したが、実は、福島原発は何も解決の方向に進んでいないのである。 今現在、すべての炉心に水が注入されているが、水が無くなると爆発を起こす。3号機はそれで爆発した。4号機には1,535本の燃料棒が入っており、今も水が注入され続けている。そうしなければ核爆発が起きるという状況にも関わらず、「収束宣言」がだされた。

 「そんな、本当のことを国民に教えたら原発の再稼働ができないじゃないか」ということを本気で言っている官僚や政治家がいるわけだ。
そして何も知らないバカが金を握らされてそういう連中の手駒になって踊らされている。

 今現在、日本は原発が一基も稼働していない状況である。それで、私たちの生活で 何か困ったことはあるだろうか?現状維持で別にいいではないか?

 関西電力が大飯原発を再稼働させようとし、最後に総理が決定した。
実は福井県の原発のほとんどが活断層の上に建設されている。 そのような状況を考えれば、ここでの事故が関西、東海を大災害=壊滅状態に追い込むことは間違いないと容易に理解できる。 福井県から吹く風は、滋賀の北部から伊吹山を越えて、地元では「伊吹おろし」と呼ばれる西風となって岐阜県と愛知県に吹きかかる。その時期は、1年12ヶ月のうち、なんと10ヶ月の間である。
 ひとたび福井県で原発事故がおきれば、放射性物質がその風に乗って、岐阜県と愛知県に向かって約60ー90分で到達する。こんなスピードなのだ。この短時間での放射性物質の到達が、住民の命を奪うことになるだろう。 
「福島よりも基盤が脆弱な土地での原発再稼働はするべきではない。」という声が出ることは、まともな頭脳構造の持ち主ならば、至極当たり前のことなのだ。

 はて、計画停電とな?電力不足になっているだろうか?あの犯罪企業の東電でさえ、事故からわずか3ヶ月の間に懸命に努力して、その結果夏を乗り切ったのだ。震災から3ヶ月でいろいろな手を尽くしたからだ。
  では、関西電力は、大震災から1年以上も経過した今、夏の電力不足に懸念があるというが、一体この1年以上もの間、何を、どう、努力してきたのか?
企業の理屈で勝手に節電などされては住民が迷惑だ。 「電気事業法」を知れ。

「電気事業法」という法律では、電力会社に「電力の安定供給義務」を課している。
「これができない時は、経済産業大臣はその電力会社の免許を取り消さなければならない」とされている。

 つまり、関西電力は、計画停電など考える時期は過ぎている。未だにそんなことを言うのであれば経営者に経営能力がないことを証明している。電力の供給が満足にできないのならば、経営陣は即刻クビにならなければならない。そういうことを国民に言われる立場におかれていることを理解しなければならないのに、どういうわけか威張りくさっている。

 原発再稼働を唱えると左翼だというバカが日本の国の中にはいる。今や右とか左とか言う時代ではない。古代遺跡のような奴らはとっとと沈んでしまえといいたい。





2012年6月24日日曜日

老後の生活(2)

老後の生活(2 )


「はぁぁあ、どれ、一休みするか、よっこらしょっと」


公的年金を計算に入れずに資金計画を立てる。
このようにシビアに予想しなければならない。

 しかし、ここで考える老後の生活費は、あくまでも私の「お一人様」の生活費のことである。  海外に永住しようと考えるのだから、基本的に一人で生活するのでなければ金がかかって仕方がないでしょうよ。夫婦間のトラブルも起きるんだよん。

夫婦で永住する場合は奥さんが鍵を握る。
そりゃ退屈な毎日だもん。話し好きな女性にとっては地獄だ。すぐに飽きる。
「あなた、私、日本に帰る!」
と、こうなるのだ。

私の場合、贅沢はしない。酒を飲まない、もちろん女遊び(ゴーゴーバーなどには行かないのだ)はしないので、そういうことが好きな人よりは幾分か費用は少なくてすむだろう。

と思ったら大間違い!! 

実は、贅沢はしないとはいいながら、日本での生活では、案外こまごまと小さなことにお金を使っている。何にお金を使っているかといえば、結局のところ、コーヒー代とか書籍に小金が消えて行くのだ。 あとはかばんとか小物類。高々そんなもんだ。
体を悪くしてからゴルフはやめた。
(要するに私は他人と納豆のようなねちっとした人間関係が嫌なのだ。地域の役員とか、「何々会」とかいう集まりなどはとても耐えられない。)

しかし、コーヒー代はともかくも、書籍代をフィリピンで使うことはないので、金額的にはまあ気にするほどのことではないだろう。
 衣服とて、日本に住んでいれば夏物、春秋物、そして冬物と揃えなければならないが、フィリピンはすべて夏物でいいわけだから、これまたラッキーだ。
 だから、一ヶ月の生活費はおそらく8万円もあれば何とかなるのではないか? と考えている。これはそれほどはずれた数字ではないと思う。
知人は5万円でいいんじゃないかと言っているが、、、。そうはいくまい。

8万円*12=96万円    96万円*25年=2,400万円。

  実に単純に、これは淡々と預金を食いつぶして生活していく場合だ。年金は計算外。まったく仕事をせずに、概ね自分が日本で生活している、さほど贅沢でもない生活を、フィリピンでもした場合だ。といっても2,400万円は最低でも必要なのである。

しかし、ここに収入源として、コンドミニアムの賃貸収入が見込める。
そして、日本よりも高い預金利息、または金融資産運用商品で、いくらか見込めるだろう。 そうすれば、もしかしたら、8万円のうち、かなりの部分をこれらで賄える計算になる。 これに加えて、あわよくば、公的年金がもらえればラッキーくらいに考えている。

 ヒヒヒ! とほくそ笑む。 

しかし、それほど楽勝な話でもない。 日本に残す居宅には当然固定資産税がかかってくるわけだから、これを無視できない。 日本に住んでいれば、銀行預金の預金利息はほとんどない。 税金はかかる。自動車保険、自動車税、駐車場代金が余分なのだ。 食事は自分で作らないか、素食でオッケー。 フィリピンでは灯油代もいらない。
総額的には、日本にいる方が高くつくだろう。 そんなわけで、老後はフィリピンの方が、経済的には負担が少なくてすみそうだ。 ただ、これも、戦争などが勃発したり、革命などがおきなければ、という前提のはなしである。 

だから、フィリピンで永住するために必要な資金としては、最低でも預金が3,000万円くらいは必要だろうと考えている。
(日本で年金も計算に入れずに老後を生きるとなると、最低6〜7,000万円は必要だろう。長生きすればするほどそれだけでリスクが高くなる。日本では平均寿命が6年延びただけで、生活費が年間平均2,000万円余分に必要になったのだ。)

「預金が無くてもフィリピンで働けばいい」という人はもちろんそれでいいでしょう。
私はそれはしないが、そういう考えを否定はしない。
若い人で事業意欲に燃えている人はどんどんやればいいと思う。

1,000万円〜2,000万円くらいの預金(換金できる資産)をいざという時に備えて確保しつつ、コンドミニアムなど「インカムゲイン」でやりくりする作戦が当面は有効であると考えている。
      基本的に借金はしない。





2012年6月22日金曜日

老後の生活(1)

老後の生活(1)


(@v@)



一口に「老後の生活」というけれど、老後っていつからだろう?
定年退職をする60才からか。
わたしなどはすでに退職して隠居の身の上であるが、こういうのはどう言えばいいのか。
やはり最初のほうで書いたように、ただのニートオヤジになるのかな。
おもしろくないから『ご隠居』ということにしよう。(落語みたいだな)

自分がいつまで生きるのか、それは神のみが知ることなので、私は今日が最後の一日だと思い生きる。
あぁぁ、かっこいいこと書いてしまった!!

でも、本当はそうあるべきだよね。

突発事故でもない限り、おそらくは明日も生きるという前提で皆さん計画というのをたてているわけでして、小生もそうです、はい。

で、通常、平均寿命を見ながら自分の残りの人生ってのを視野に入れていくのです。

このサイトを見てみましょう。

男は79.64才(世界第4位)で、女は86.39才(堂々の第1位)!


いやぁ、長生きだねぇ。しぶてぇしぶてぇ。死にゃしないんだ。

「日本人 そう簡単に 死にません」

男が75才まで生きる確立は72.1%だそうだ。
おそらくわたしもしぶとくこの中に入っているだろうと仮定して計画を立てたんだ。
霊感的に、なんとなくこの年齢が自分の終着駅のような気がしてならない。
(※しかし、占いをこれまで3回やってもらったら、3回とも死亡年齢が同じだった。
これって、占いマニュアルが同じなのかな?
で、その結果は、すっごく長生きなんだよ。
「お金が無くて病気でそれでも死なない」ってのが最悪なんだけど、それだけはいやだなと思った。ピンピンしてて突然死がいい。勝手な願い。)

自分がもらえる公的年金は計算に入れてはならない。


だってそうでしょう、日本国債が暴落したら、国債を購入している年金団体の積立金はパーになるんだよ。そんなものあてにできっこないよ。

だから、公的年金を差し引いて、いくらあれば残りの人生を生きていけるかを考えるのが鉄則なのだ!

年金が足りないことは20年前からすでに言われていたんだから。




2012年6月20日水曜日

Typhoon.(台風)

早くも台風4号到来! 


 梅雨入りして早くもが到来した。 

今回の台風4号は何を急いでいるのか、なんと!時速60キロのスピードで一気に日本列島の東側を撫でるように駆け上がって行った。
時速60キロといえば、ほぼ車の速度だ。しかも快適な運転速度。
一時間たてば台風は60キロ先に行ってしまう。

 少し進路が海寄りにずれてくれたので、私のエリアは大して損害もなかった。

 昨年だったか、時速15キロの台風がきたことがあった。 自転車並みの速度は実に遅い。 舐めるように進んでくる。大雨を降らせ、大風で樹々を揺らせ、家々の屋根をめくって引き上げていく台風の方が、こちらとしては大変迷惑な台風だ。
どうせ来るなら  できれば今回のようにさっさと通り過ぎて欲しい。 

ふと、天気図をみると、すでに台風5号というのが台湾近くに発生している。

 げげっ!また来るのかよ! 

と、思ったら、天気予報で「明日の朝には温帯低気圧になっている」とのこと。

ただし、前線が日本列島に北上してくるので、ちょうど今回と同じようなルートで大雨が予想されるそうだ。

私は来月フィリピンに渡航予定である。

どうか飛行機に乗る日と台風が重ならないことを祈るばかりなり。

※今回の台風には疑問の声が上がっている。「気象操作でできた台風ではないか」という見解だ。まぁ、ここではこれ以上は書かないでおきましょう。


2012年6月19日火曜日

インタビューと永住権取得

インタビューと永住権取得





 さて、永住権(私の場合はQuota Visa)取得の最大の山場である「インタビュー」の話。 

このインタビューは、「あなたは何月何日の何時からインタビューを行います」という案内が事前に本人になされることは一切ない。 これだから気を揉むのだ。

前日、突如として「インタビュー」の連絡が入る。

 「いよいよ明後日は日本に帰らなければならない。
明日連絡がなければ今回は空振りかなぁ、、、、」 

そうつぶやいて、半ば諦めかけていた時に、エージェントから連絡が入った。
「明日朝9時にイミグレーションに来てください」うぅぅ、ラッキー!(涙)
 
 アラバンからイミグレーションのあるイントラムロス(旧マニラ)まではけっこう時間がかかる。 今回もデベロッパーのマネージャーが助けてくれた。彼が朝迎えにきて送迎してくれると言ってくれたのだ。(彼には大感謝している。)
「ミスター、タクシーで行かない方がいいですよ。」 どうも悪質な運転手が結構いるらしいのだ。だから裏にハマると大変な料金を分捕られるかもしれないのだ。

  8時に到着。イミグレーションの前にスターバックスがあるのでそこで永住権のエージェントの 担当者と待ち合わせ。 どうもこのスタバはイミグレーションに用事のある人々の溜まり場になっているようだ。
  9時になるのでイミグレーションの弁護士の部屋に。

フィリピンの人って、凄く明るい。この明るさがいいんだよねぇ。

 ここから待つこと4時間半。ようやく私の順番がきた。

 これは頭に入れておきましょう。
「永住権を発行するからには、誰でも言い訳ではない。その人間がフィリピンに何か役立つことをしてくれるのでなければ永住権を発行する意味はない。我が国がわざわざあなたに永住権を発行する理由が何かあるというのかね?」 
などと言われることはないが、インタビューというのは突き詰めればこのような意味があるわけである。

 だから、 「はい、僕はのんびり生きていきたいですぅぅ」という返事だと却下だ。
 「それならば別の方法があるでしょう?お帰りください」と言われるのがオチだ。

 従って、Quota Visaを取得のインタビューではそれなりの「回答」を持っていなければならないということになる。

 緊張しながらインタビューは始まったが、10分もかからないうちに終わった。 
午前中の長引いていた人は何だったのだろうというほど、 速攻で終わった。

 ちなみにインタビューは英語で行なう。
必要ならばエージェントの担当者が通訳してくれるが、私はほとんど自分で返答した。
基本的に難しいことは質問されない。

ふぅぅぅぅ、、これで最大のヤマ場を乗り切った!! 
空振りに終わらなくてホッとした!!

 インタビューが終わって、3週間ほどで正式に取得者が発表される。 内々には早くわかっていたのだが、正式発表でないと安心できない。 

 この次は、I-Cardを発行してもらうのと、パスポートにQuota Visaの認証印を押してもらうためにフィリピンに渡航する必要がある。

 服装は襟のついたシャツ、チノパン(色が均一のジーンズ)、靴が望ましい。
公的な場所で人生において重要な面接をされるのですから。
半ズボンにT−シャツ、サンダル履きはやめましょう!








2012年6月17日日曜日

コンドミニアム(契約関連編)

コンドミニアム契約書類 


           ※睡眠は十分にとりましょう!



 コンドミニアムの「予約申込書」と「購入者情報」を記入し、予約金を支払ったら、次は、気持ちに変わりがなければそのまま契約手続きに入る。
 これは現地に赴いて、相手の会社(販売側)で行う。

 契約に際して必要な書類は概ね下記の通り。


 1)本人確認書類(免許証とパスポート) 
2)郵便物の封筒 
3)公共料金の領収証
 4)収入証明書(無職の場合は不要) 
5)銀行残高証明書(もちろん英文作成) 
6)戸籍謄本(離婚経験者は必須) 
あとは先方が用意した契約書にサインする。
サインはパスポートと同じサインである。

  重要なことであるが、英語が完璧にできる人はいいが、そうではない場合、英語とタガログ語の両方を話せる信用できる人物を同伴するとよい。
 弁護士と通訳が同席すればなお良いが、それには結構な費用がかかる。

 前回書いたように、日本から「海外送金」する場合に、コンドミニアム購入資金ということで送金すると、契約書のコピーを銀行が要求する(もちろん契約内容の細部まで何か言われることはない)。
このために契約書の写しは必ずもらっておこう。
 
  契約書類にサインしたら、期日までに資金を支払う。 
資金支払いは、予約金、残金一括がベストである。

 理由はスポットキャッシュ(一括払い)であれば価格の15%がディスカウントされるのが通常だからだ。15%はかなり大きな割引である。
  その他に、予約金、頭金支払い、完成時に残金支払い、というパターンもある。これはプレビルドといって、建設前に物件を売り出す場合はこういう支払い方もある。 
そして、分割払いや、ローン支払いもある。

  私は、永住先でローンを組んでまで物件を買うべきかというと、そのようには思わない。 基本的にキャッシュ一括払いをお薦めしたい。


 「年齢を重ねてから借金などするものではない」というのが私の持論だから。





「海外送金」

「海外送金」について 



  お金を海外に送る場合、日本国内にあるような電信振込ですぐに相手銀行の口座に入金できるシステムはないようだ。そこで「海外送金」という方法をとる。「海外送金」  いろいろな手段でできるようだ。たとえばXoomとか、NTTでも送金できる。 

 私は実は詳しいことを知らないので、まずは郵便局に行き、そこからドル建てで送金手続きをしてみた。「海外送金」初体験だ。

  送金に必要なことは、
受取人の銀行名、支店名、支店住所
受取人の口座番号、
受取人の口座名義、
受取人の住所、
電話番号、
SWIFTコード(世界の銀行にコード番号が定められているのでそれを調べる必要がある)

 次にコンドミニアム資金を「海外送金」した時も必要事項は全く同じだが、この時は、邦銀を使って、ドル建てではなく円建てで「海外送金」をしてみた。

結果→ちょっと失敗!!

 フィリピンは通貨がフィリピンペソなので、それに見あった円またはドルを用意する。 「海外送金」の場合に注意すべきは、円➡ペソで計算すると失敗する恐れがあるということだ。 つまり、外国為替というのは、円➡ペソと直接交換できない仕組みになっているらしいのだ。そうなると、ドルとペソの為替が重要になってくる。

銀行の話では、円➡ペソは途中で別の銀行が絡んでくる場合があるとのことだ。
そこで「手数料」が発生する。
私は最初は面倒なのでいきなり円→ペソで「海外送金」をした。ドルが途中で入ることとを知らなかったので、ドルとペソの為替関係で


「資金がたりません」と連絡がきた!

ガーン!!

 そんなこんなで、金額が大きいと、送金の時には気を使う。足りない時は100円という単位ではないので、また銀行に赴いて手続きをする羽目になる。
手数料がその都度発生する。そして疲れる。 
銀行によってはすべて大文字で手書きで書かなければならない銀行と、HSBCのように、マネージャーが英文でサラサラっと作成してくれる銀行とがある。
この手書きで書くのがめんどうなのだ。最後に間違えたりするとまた初めから書かねばならない。

もう一つ重要なことは、「海外送金」の場合、マネーローンダリングを疑われるので、


「このお金は何のために送金されるのですか?」


と必ず銀行から聞かれることと、送金理由を送金依頼書に記入する。
コンドミニアム購入の場合は、必ず契約書のコピー添付を求められる。

 「海外送金」で相手先に到着するのに要する日にちは、6ー10営業日だ。
場合によってはもっとかかる場合もある。
ただし、たとえば「5月30日までに送金する」という場合、着金がその日になるように送っても銀行の事情で到着しない場合があることを事前に了承しておいた方がいい。


送金処理をしたら、すかさずスキャンコピーを販売側にメールで送っておくとよい。

海外送金や書類のやり取りでは、何かに付けてスキャンコピーが活躍してれる。




2012年6月15日金曜日

コンドミニアム予約編(離婚者注意)

コンドミニアム予約編  


 フィリピンでコンドミニアムを購入する時には、販売社によって書類関係に差があるかもしれないが、全体の流れとしては概ね次のようになる。

①「予約申込書」→②「予約金支払い」→③「支払い」

 今回は①の「予約申込書」と必要書類関連を少し書こう。
購入申込者についての情報を書く書類がある。これは購入者が一体どんな人物なのかを知るためである。ましてや外国人に販売するのだから、相手としては当然の手続きである。 
面白いのは、「車は何年式の何に乗っているか」まで書くようになっている点だ。
預金している銀行の支店、口座番号まで書く。 自宅の面積等ももちろん必要。 
これらは自分で固定資産税の評価表などを見て書けばいいし、自分でわかる範囲で書いてもよい。

「予約申込書」と同時に「顧客情報書」という書類がある。会社によって違いがあるだろうが「顧客情報カード」だと思えばよい。

そこには住所、氏名、電話番号はもちろん家族構成も書く。
勤続者は勤務先の名前、住所電話番号、年収なども記入する。無職者は空欄で良い。
年金受給者であれば年金番号を書く。
運転免許証とパスポートのコピー。
 これらの書類は初期段階で必要なので一番早い処理としては、現地を視察して購入意志が固まったら、そのときに予約金(だいたい20,000PHP)を支払う。と同時に書類を記入して提出する。
 また日本にいる場合は相手からメールで添付してもらい、それを印刷して記入し、コピースキャンして相手にまずメールで送り、原本を郵便局のEMSを使って送付する。
注意点としては、宅急便は「親書」は扱わないので郵送する場合はEMSを使う。
私の経験では、EMSを使うと、到着場所がメトロマニラ内であれば、送付した日の翌日から概ね4営業日目に相手に到着している。日本から「予約金」を支払う場合は、日本国内のような電信振込ができないので「海外送金」を使う。「海外送金」については後日書く。



さて、離婚経験者にとっては次が大事なところだ。
 フィリピンという国はカトリックという宗教的な側面もあるからだろうが、意外にも、
離婚している場合、本当に法律的な離婚かどうかを証明しなければならない。
はじめはこの意味が分からなかった。カトリックでは離婚は原則としてないからだろう。
離婚経験者は「役所の証明書を出せ」と言われるから注意しよう。
こちらとしては面食らうのだが、この場合は戸籍謄本」を出せばいい。ここには婚姻から離婚まで一連の流れが表示されているからだ。すべて漢字だらけで相手は読めないだろうが、うやうやしい書類を見ると相手は信じてくれる。

 ちなみにフィリピンの人たちと雑談していて驚いたのだが、フィリピン人がいう「離婚してる」という言葉は、本当の離婚ではなく別居している場合をいうことが多いということだ。さらに驚くのは、いわゆる彼らのいう「離婚」をして、別居して、別の男の子供を産むことになっても、それは別に驚くことではないということだ。実際に私は当事者(そういう経験者)の男女それぞれと知り合い話を聞いたから間違いない。現地人と結婚して子供を作り「離婚」して、日本人の子供を産んだ、などという事例は珍しくも何ともないということだ。
  日本の場合は、「はい、私はちゃんと離婚しています」という証明ができるので、そのために戸籍謄本を出すわけだ。 でもコンドミニアムを買うことと離婚しているかどうかは関係ないはずだから、どうでもいいと思うんだけどなぁ。

 このあと契約書類になるがこれはまた別の機会に。

「申込書」に所定の事項を記入したら、サインをする。このサインは通常すべてのページにサインをする。また、サインはパスポートに書かれたのと同じものを書く。つまり、日本語の氏名を書けばいい。

 よだんであるが、フィリピン人から見ると、日本語でさらさらっと漢字を書くのがかっこよく写るようだ。




2012年6月14日木曜日

携帯もPCもなかった時代!

携帯もPCもなかった時代!


思えば懐かしい。





 ちょっと思い出してみよう。

 携帯も、パソコンも、車も持っていなかった時代があったんだよ。 

 たとえば、私は27歳の時に初めて車を買った。
それまではいわゆるペーパードライバーだった。

 近所には何もないような森の中に自宅があって、そこから買い物に行くには15分ほど歩かねばならなかった。 風流といえば風流だ。今から思えば。
よく歩いたから体は引き締まっていた。

 それから、遠くに出かけるときにはバス停まで10分歩いた。

会社員になってからは、雨降りの朝はバス停まで行く間にズボンが濡れてしまった。バスの中で濡れた傘を押し付けられるので、ズボンの折り目は会社についた頃にはすっかりなくなっていた。 

 携帯電話だって30台後半になるまで普及していなかった。公衆電話で事足りていたんだ。 今、私は携帯電話をどのように使っているかといえば、通話とメールだけだ。
面倒だから大事な用事のある時だけ自分からかける。
そのほかの機能はほとんどが無駄なのだ。私にとっては。 

 パソコンは、情報が欲しいのとメールが基本なので、このi-Padだけでもいいくらいだ。 それ以上の機能は、わたしにはあまり関係ない。 

 このように考えてみると、あの大学生の頃に戻ったと思えば、フィリピンでの生活も違和感はないかもしれない。 こんな時代もあったねと、思いながら過ごすんだ。

  で、私の場合は読書が好きなので、このフィリピンの地でも、相変わらず自分の大好きな永井荷風ドストエフスキーの文庫本を手にしてアラバンのカフェに出入りするんだろうなぁ。

  快適だよ、それで十分に幸せを感じるよ。



2012年6月13日水曜日

水は大丈夫か?(フィリピン)

フィリピンの家庭水 


 「フィリピンでは水道水を飲んではいけないよ」 

 知人からこう言われていたので、もちろん飲まなかったが、水道水についてはフィリピンに限ったことではない。 日常生活を送る中、私は日本の水道水とてそのまま飲むことはしない。況や海外においておや。 

 かつて米国のソルトレイクシティーという街に滞在したおり、水道水、風呂の湯がすべて塩辛かったのを覚えている。 さすが「ソルトレイク」と言われるだけのことはあるなと感心した。この街に住んだら最後、肌は年相応は夢の如、おおよそ実年齢よりも老けて見られるに違いないと確信するほどのものであった。洗髪したあとの髪はバサバサになる。整髪料や肌への保湿剤は必需品だった。 

 はたして、このフィリピンでも同じで、洗髪したあとの髪の毛の状態が良くない。髪の毛のことを思えば育毛剤が必要だ。 また、シャワー水の質がどの程度かわからないが、肌への影響がいいとは言えない。

 こんなことを実際に体感したので、水道水においても推して知るべしである。
 セールスマネージャに聞いてみたら、
 「各家庭では、水タンクを使います」との返事であった。

 その水タンクとは?
        
              例えばこのようなものだ。 


(※この写真は某HPさんから拝借した。)
 これは機器と水タンクがセットになっていて、タンクがなくなると交換してくれるという。 ただ、これで水が安全か(飲料水として衛生上問題ないか)といえば、必ずしもそうだとは言えないらしい。 いずれは私もこの水タンクのお世話になるわけだから、これからもう少し調べる必要があろう。 それと同時に、水道水がこのような状況であるならば、「水」の事業が成立する余地がありそうな気がするのであるがどうであろうか。
毎日毎日身体にいれる水は基本中の基本だ。 フィリピンの人はおそらく上流階級の人々はちゃんときれいな水を飲んでいるが、下々の人はあまり、、、。
 
 だれもが安心して水が飲める環境下で育ったわたしとしては、水は実に重要であり、かつ平和なことなのだ。




2012年6月12日火曜日

わたしという人間

不安とか焦燥とか

 わたしのことをちょっとだけ書こう。



  つねに私の中を支配し続けているもの。
 それは「不安感、焦燥感」と呼ばれるものである。 これは、何が心配?ということもなく、10代の半ばごろから私の中に生じていた感覚である。 何かに急き立てられるような感覚。しかし、それが何かを考えていくと、これと言った理由を見つけられずに終わるのである。 「何か」に急き立てられる感覚があっても、では「何に」せき立てられているのか、その「何か」が何なのかわからない。 同時に、不安に襲われる。 何が不安かわからないが不安なのだ。 言葉で上手く言えないが、それでも当てはめてみると「不安感、焦燥感」である。

 実際は何でもない(原因というべきものが見つからない)のに、その奇妙で嫌な感覚に襲われるようになって、長年内心悶え苦しむことになろうとは当時は考えもしなかった。 他人から見る私の外見は、苦痛の中に沈んでいるとは誰も気づかなかっただろう。しかし、私の心の中は訳の分からぬ不安と焦燥におののいていた。
いつも外側の仮面=笑顔ごまかしながら生きてきたから。
若いうちにはそのことにどうにか耐えられるのだが、加齢と共に耐えられなくなってしまった。 異常なのかというと別に異常ではない。病気ではないだろう。いやわからぬ。
 
 あるとき、なんだかすべてが嫌になってしまった。嫌になったという言葉は適切ではないかもしれない。どうでもよくなってしまった。俺の知ったことかよ。
そうしたら、なんだか、少し楽になった。そのなれの果てが今の自分である。
さながら空蝉のごとし。

 こうして、勤務から離れ(要するに退職して)、訳あって離婚もして、望み通り自分一人になって理想的な展開になっている。

 心の中は、以前のような暗雲に覆われた状況からは脱している。このブログのタイトル通りさ。『晴れ時々くもり』ってところだ。それでも、やはり心はいつも漠然とした不安と焦燥という奇妙な雲に彩られている。

 フィリピンに行ってみた。理由は以前書いたが一度見てみたかったからだ。
冬の寒い(日本では寒波が来ていた)日にマニラに飛び立った。
マニラの国際空港で飛行機から通路に出たとたんに猛烈な暑さだ。流れ作業で最後に税関を通って外に出たら、別世界がそこにあった。自分の中から何かが飛び出していった気がした。誰も知らない土地。解き放たれた気分になった。

 誰も「何か」もここまで追いかけては来ない!

 自由になった。。。

(^v^)/



 





2012年6月11日月曜日

移住計画場所

フィリピンとマレーシア(移住計画場所として) 



 敷居の高い?マレーシア 

マレーシアは日本人にも人気のある国の一つである。
この国で永住権を取得するためには以下のすべての要件を満たさなければならない。
 50歳以上の年齢者の場合である。

 1)月1万リンギ(約28万円)以上の不労収入(退職者の場合は公的年金)があること。
 2)35万リンギ(約1000万円)以上の資産証明(預金、株券、不動産)があること。
 3)15万リンギ(約430万円)以上の現地定期預金があること。 
(※1リンギ=28円での計算)

この3点をすべて満たすことは私にとっては難しい。
 2),3)はいいとして、1)が難しいのだ。退職して月に28万円の年金を受給できることができるのは、相当いい立場であった人であろうと思うのだ。 私の世代ではやはり上場会社でなければ難しいと思う。

"It is not necessary for the cats to have got " Quata Visa". Guess why?"
She said.



 フィリピンの「特別割当移住査証」 

これが「Quata Immigrant Visa」通称「クォータビサ」と呼ばれる永住権である。
 フィリピンでは他にも退職者向けにSRRV(退職者査証)がある。 この制度も内容的には非常にいいものであることは言うまでもない。

私は「クォータビサ」を選択した。 理由は自由度が高そうだからだ。

また、クォータビサがあると、HSBCはドル建て融資が、物件価格の80%まで可能であり、半年前の情報ではあるが、レートは3.39%だった。(もちろんPremierメンバーでのレートだと思うが)

今は就労していないが、もしかしたらフィリピンで生活するうちに働こうという気持ちになるかもしれない。 あるいは、信用できる人間がいるので、その人物とジョイントすることも視野にいれてはいる。 その時に就労ビサを取得するよりは、このクォータビサを取得していれば、その手続きを踏まなくても就労が可能なのである。

逆にいえば、「クォータビサ」を取得すれば働くための就労ビサを必要としないのは、そもそもクォータビサにおいては、認可をする際に申請者がフィリピンへどれだけ投資をする用意があるのか、という点をイミグレーションは重要視しているからであろう。

このことは、イミグレーションでのインタビューを受ければすぐに理解ができる。
 これについては、別の機会に。




2012年6月10日日曜日

LCD screen of my Mac,,,

LCD screen of my i-Mac fails!!



Oh,,,!!  The thin line can be seen on the LCD screen.(-.-)

Is this failure improved?

Or,,,Must I buy a new Mac???

Why do you fail ,my lovely i-Mac??

The voice from inside of my mind.

"Change to the new Air Mac!!"  

2012年6月9日土曜日

Rainy Season (Japan)

Rainy season...

It has been raining...
The Rainy Season (is called "TSUYU") has started in Japan.
Humid days carry on 2 months.

June July and August are Summer in Japan.
On July and August,the temperature often records 38 degrees in my area.
It is terrible hot and humid weather.
There is a risk Heat Stroke.
( To tell the truth,I had it two times so far.)



By the way,it is also rainy season in Philippines.
The roads sometimes become river.

During rainy season,I must go away to dry area like Russia or Finland.

ha ha ha








2012年6月8日金曜日

独居浪人適格者

独居浪人適格者(フィリピンで)


つまり、一人でもフィリピンで十分生きていける(健康であることが前提ではあるが)ためには、ある要件を備える必要があると考える。

ずばり、群れて生きたい人には無理だろう。

この要件を「独居浪人適格要件」と呼ぶ。勝手に呼ぶのだ。


           「我が輩が認定するニャン」



独居浪人適格要件 in Philippines


基本事項


1)一人でも平気である!
とかく日本人は日本人同士で群れたがる習性がある。そうではなくて、ひとりぼっちでも平気でいられることが基本中の基本事項である。
ひとりぼっちを寂しいとは感じない。(孤独=快感という認識がある)

2)何もしなくても平気でいられる!
一日中でもぼっとしていても何も困らない。

3)食事に執着がないこと!
三食食べることではなく、その内容が、毎日同じでも嫌気がささない。もしくは嫌機がさしてもそれを乗り越えることができる。多少まずくても佳しとする。

4)自己顕示欲がないこと!
俺は儲けているぜ!つきあっている女が何人もいるぜ!夜の街は俺が一番知っているぜ!
フィリピンのことは俺が一番知ってるぜ!いい車に乗っているぜ!
絶対にこういうタイプとつきあってはならない!
「金持ちは静かに生きるフィリピンで」=基本中の基本! →これを目指そう!



必須要件事項


1)英語ができる(少しでも会話ができる)!
英語でのコミュニケーションが、流暢ではなくても成り立たせることができる。
これは孤独でありながらも孤立しないための重要な要件である。聞いてしゃべることができるのが理想。私も勉強しなければなりません!

2)経済的には裕福な方であること!
これは貯蓄も無しでフィリピンで生活するにはリスクが大きい。スラムの友達にならないようにするには、渡航段階で金融資産がなければならない。
そして迂闊に人にお金を貸したりしないこと。不労所得があることが要件である。

3)色欲に溺れぬこと!
これで人生を棒に振った日本人がフィリピンで蝉の抜け殻と成り果てて生息している。
配偶者を取るならば特に注意。強欲女を配偶者にしないことを勧める。
何かと厄介だから。

理想的要件


1)読書が好きであること。
日本の書籍でいい。読書ができることは、自分の時間を十分に確保できる。

2)歩くことが好きな人
健康的である。

3)損得抜きの絶対的友人を確保すること。
たくさんはいらないが、有事の際にはかならず助け合える仲間数人は必要である。
ムスリムも、ロシア人も、基本的にはこの「絶対信用仲間」の助け合いで窮地をしのいできたのだ。これを「絶対信用仲間=地下人脈」と呼ぶ。

2012年6月6日水曜日

雑感



雑感、、、


携帯電話など

フィリピンに到着して電源を入れると、いろいろメッセージが入っているんだけど、それはいいとして、日本時間とフィリピン時間(マニラ時間)の両方が表示されているんだ。
なんてすごい!(いや、もうこんなのは当たり前か)

日本に無事でいることを連絡するのにアメリカだと日本時間を知るのにちょっと躊躇するが、フィリピンは1時間の時差だからすぐわかるけれども、このように表示が出ると、便利だ。

i-Pad2はどうかというと、こちらも実におりこうさんだ。
ちゃんと自動的にマニラ時間に変わっているじゃないか。
やるなぁ君たちと携帯機器をなでなで。

それでi-Pad2のほうはWi-Fi3Gなので、日本では便利なのだが、フィリピンでは使い勝手が悪い。ACACIA HOTELの中ならルームナンバーを入力すればWi-Fiで使えるが、外に出ると使えない。また、一応自動的に設定が切り替わるので高い料金の請求はない。

携帯電話はメールはそのまま日本に送れる。
通話は、日本に電話をかけた形をとらずに「そのままかける」を押すと、なぜかわからないが、安いままかけられる
私はこういうことに凄く疎いのだけれども、何というか、結果オーライだ。
しかし、私から相手にかけることができても相手が私の電話にかけられない、ということがわかった。

そこで、相方と知人に勧められ、フィリピン専用の携帯を持った方がいいということになった。
フィリピンでは日本と違ったシステムになっているようで、携帯はプリペイドカードを使うらしい。やったことがないので、次回の渡航では携帯を買おうと思っている。

もっとも、携帯と言っても私の場合はメールと通話だけなので、その他の機能には興味はない。

TV

全く興味がない。日本でもほとんど見ない。

新聞

基本的に『日刊まにら新聞』と現地新聞がひとつあればいい。

書籍

私はネットよりも書籍派(とはいってもMACは必要)なので、これはきわめて重要である。

本がないと死んでしまう!

ということはないが、活字を求めて彷徨い歩く、、、こともないか。

コーヒーを飲みながら本を読むのが日本での日課なので、このペースは何が何でもフィリピンでも同じでなければならぬのだ。


「なんだか奇妙な客がずっと本を読んでいる」

という印象を最初は持たれる。
これは日本でもフィリピンでも一緒。
そこでしばしば通い、そのたびに


コーヒーのおかわりをすると、

その印象が一転して、


「あの人は良いお客!」という”認定”が下りる。

これも日本とフィリピンは一緒。なのだ。(バカボンのパパ風に)








2012年6月5日火曜日

Condominiums.3(コンドミニアム3)

Condominiums.3


次に向かった先は、ほぼ70%できあがりかけている物件だ。

その名も "ENTRATA"。


完成予定外観はこんな感じ。



なかなかかっこいい。実際には、色がもう少し薄い感じ。

建設中だが、中を見せてもらうことができた。

ここはSOHO向けの使用もOKだし、居住してもOKという多様性を持った物件だ。

そして、このビルディングの多くの部分がホテルになっている。
ファイブスターの"CRIMSON HOTEL"である。
右側のビル(第一タワー)が先に完成して、ここにCRIMSON HOTELが入る。

見せてもらったのは一番端っこの49sqmの部屋と32.55sqmの部屋だ。

価格も32.55sqm=2.6Mとなかなか手頃だ。住んでもいいし、貸してもいい。
そうですなぁ、SOHOとして貸し出す方がいいかな。住む場合だと洗濯機の設置場所をどこにするかで悩みそうだから(笑)。買ってもいないのにアホです。
どちらの部屋もロケーションは抜群にいい窓の外はいきなりLAGUNA BAYなのだ。

そして道を隔ててFestival Super Mall があるし、歩いて5分の場所にAsian Hospitalがある。
つまり、この建物の周りには、何でもあるということである。
ビルディングが林立していないだけ、空気が良い!

便利さは、The Levelsと同じくひじょうに良い


わたしはマカティよりも私はアラバンが好きだ!!
なぜなら、アラバンから見たマカティの空は汚れている。
そして
「マカティはビジネスの場所で住むところではない。なぜ日本人はマカティなの?」
と地元フィリピン人が口を揃えて言うのだ。
これは地元の人間の貴重な意見として聞いておく必要があろう。

いやぁぁ、ため息ですなぁ。。。(^v^)/




2012年6月4日月曜日

Condominiums.2(コンドミニアム2)

Condominiums.2


次の見学は、「The Levels」

実はこの物件はまだ更地のままだ。完成予定は2014年である。
とはいっても、2014年に完成する予定なのは、下の写真で言えば手前右側の物件である。

これらすべてが完成するのは、たしか2019年だと聞いた(2017年だったかもしれない)。

フィリピンのコンドミニアムでおもしろいのは、まだ建てられていない段階から販売が始まることだ。そして、建てられている最中に、その物件が値上がりしていく仕組みになっている。

この The Levels のモデルルームは、Westgateにある。ちょうど近くには日本料理屋の「RED KIMONO」などがある。ACACIA HOTELの西側に位置しているから歩いてすぐの場所だ。

外観は甲なる予定だが、まだ存在しない物件である。


 このまだ存在しない The Levels の1BRと2BRを見学した。

私の場合、おそらく一人か二人で住むだろうからStudio Typeか1BRで十分だ。
この物件の1BRは、どちらかというとStudio Typeの構造になっている。
そのほうが、エアコンを使う場合1基ですみそうな気がするが、どうだろうか。
(一応2基付けられるようになっているが。)

 価格も1BR=約3.2Mなので手頃ではある。
すでに当初よりも価格が8%値上がりをしている。

物件としては、2BRは小さな子供のいる比較的若い夫婦向きかな、という印象。
1BRには年代は関係ない。おそらく赴任してきたビジネスマン向きだろう。

気に入ったのは価格だけではなく、ロケーションだ。この周辺にはなにも建設されていない。今後建設されるかもしれないが、まず西側には高級住宅街が軒を並べているので建設の余地はない。そして東側はどうかといえば、なんと、この場所からは、
LAGUNA BAYが見渡せるのだ!

Festival Super Mallまで徒歩7分くらい。
反対方角にはAlabang Super Mallが3分で行ける場所に位置している。
まず、食べ物には困らないだろうね。
Aian Hospitalもすぐ近くにある。

いやぁ、ため息が出ますなぁ。。。妄想状態。。。(^v^)/






2012年6月3日日曜日

Condominiums1(コンドミニアム1)

Condominiums.1


「ちょっと見てください。」といって案内されたのが、
La Vie」というコンドミニアム。


"La Vie"=人生。いいねぇ。


なんだかホテルのようなロビー。


家具付きで販売されている部屋を見せてもらった。
1BRと2BRの二つだ。

いいねぇ、こんなところに住むことができたら、、、、。(ためいき)

家具無し1BRは一番安い部屋で4.7MPhpで、家具が付くと5.5MPhpだそうな。
そりゃまあ、この一流家具なら高いでしょうね。

このコンドミニアムの道路を挟んだ北にゴルフのドライビングレンジがある。
ということはこの方角の部屋を買えば、目の前にコンドミニアムがドカンと建てられることはないわけだ。
 マカティなどは窓の外はビルだらけなので、いくら「マカティはロケーションがいい」と言われても、私の感性から言うと、それはロケーションがいいとは言い難いのである。


私の好みはアラバンのほうだ。

それと日本だと「南側が日当りが良くていい」というのが定評になっているが、フィリピンでは関係がないようだ。年中暑いわけだから。私が思うに、むしろ南側は暑いのではないかという気がする。それはマニラパビリオンに宿泊したときに、実際にそう感じた。

また、高層階ほど価格が高くなるのはフィリピンも同じだが、水の圧力を考えると、最上階が必ずしも最高だとは言えないかもしれないと感じた。

ロシアの友人は面白いことを言った。
「どうして日本では高層階がいいの?ロシアでは、2,3,4階がいいとされる」そうだ。
これは、なぜだろうかな?

これは実際に下から撮影した"La Vie"と左隣が"Vivant Flat"である。
どちらも文句無しの物件だが、、、私の財布が、、、。
つかの間の夢の如し。

ちょうどこの日はイベントをやっていた。
甘いジュースに甘いケーキというフィリピン流の
”必殺スイートセット”が出た。(夕食抜きになってしまった)



Demon

Demon people! 





 Recently there are lots of incidents people eat other people in US.

 The cause of these bizarre incidents have not been elucidated.

 According to the information,the cause is illegal drag called "Bath Salt".

 This drag will make a human change to the demon people eat other people.

But it is not reliable to be concerned with this drag.

 Have they already received a judgement of God??


For example.....


This mother ate the head of her baby.


Be careful not to be shocked.



The ACACIA HOTEL.

ACACIA GROVE HOTEL!


このホテルは初めて宿泊した。まだ新しい。
さすがにアラバンだからというわけではないが、遊び人は泊まっていない。

アラバンには女好きの好む場所はないのだぁ。。これほんと。

やはりビジネス系の人が多いかな。
あと、土日は家族連れが食事だけに来ている風景も見られた。
家族で気軽にホテルに食事に来るっていいよね。
おそらく収入のある家庭だろう。




 このホテルの一番気に入った点=スタッフの顧客への対応が抜群であることだ。
 親しみを持って対応してくれるところがいい。
お客の名前をすぐに覚えて次の日には
"Good morning Mr.,,,"
と挨拶してくれる。

 一番驚いたのは、うっかり私がi-Pad2と紙幣500Phpを机の上においたままFestival Super Mallに行き、約2時間後にホテルの部屋に帰ってきたのだが、ちゃんとそのままの状態でおかれていたことだ。ルームクリーナーも徹底教育がなされていることに深く感心した。

 こちらが日本人だとわかると、すぐに『日刊マニラ新聞』という新聞をドアの前においてくれる。ちなみにこの『日刊マニラ新聞』は重宝する新聞である。

料理は日本人の口に合うものもあればそうでないものもあるが、概ね合格。刺身醤油だけが、フィリピン風味だったことは、どうかなぁ、まぁ、良しとしよう。
特に私が困ったことはあまりないが、イスラム食があれば最高であった。

ACACIA HOTELはイチオシだ!!

次も泊まるなら(予算があっての話だが)、このホテルかな。






2012年6月2日土曜日

Foods

日本食


日本食を食べようと、天ぷらを出してくれる店に入った。
日本食だけではなく、いろいろあるようだが、私には中身がよくわからない。
魚料理も注文したようだが(「注文したようだが」というのは私が注文したのではなく、同行したMr.LとMr.D、そして相方がしたからだ)、どうも日本の魚料理とは趣が違う。

まず、洗面器のような入れ物に、いきなり現物を入れて持ってくる。「これをどう切りますか?」と聞いたらしい。

ラプラプという名の魚だそうだ。結構でかい。
他にもいろいろな魚が出てきたが、私としては天ぷらが好物なので、さっそくエビの天ぷらを食した。

フィリピンの天ぷらは、私にとっては、ややコロモが堅いかな、という感じがする。

タレは甘い。したがってを注文して塩を付けて食べる。
「塩を付けるんですか?!」と驚くので、
「日本ではエビの天ぷらは塩で食べるんですよ。」
などと言ってしまった。でも、好きな人はそうだよ。

料理の一部がこれ。


ご飯も注文したが、どうもフィリピンのおご飯はぱさぱさっとしていて、箸でつまみにくい。そういえば機内食のご飯もぱさぱさしていたっけ。長年、ほっかほっかのあったか「ごはん」で育ってきた身としては、フィリピンのお米に慣れるのには、少し時間がかかるかもしれない。
こちらには日本米は売っているのかな?

ほかにも魚が出てきたが、名前を忘れてしまった。





2012年6月1日金曜日

なぜ移住計画か?

移住計画を立てる理由 



なぜ移住計画(永住計画とも呼ぶ)をたてるのか?
 私なりの理由はいくつかある。

1)日本社会の粘着性、群れる習性、他律性が嫌だから。
2)日本が日本ではなくなってしまったと思えること。
3)ずばり、今後も震災があることと放射能汚染が進むので住めなくなる恐れがあること。 
4)ずばり、日本が財政破綻する恐れが高いから。あるいは、もう国家として国民を守ろうとしないから。
5)ずばり、私自身の中の変化。

 概ね以上の五点であるが、これらの中で特に3),4),5)が大きな理由である。

 放射能汚染がすすむ日本 

  2011.03.11で福島原発が崩壊し、3号建屋は核爆発を引き起こしたと言われている(どう考えてもそうとしか考えられない)。 被災地のがれきは遠くアメリカ海岸にまで到達した。
ということは、海は当然汚染されてしまっているはずである。
  今なお、放射能物質は流れ続けており、被災地では体調を崩す人がすでに出始めているが、これは放射能を浴びたことによるものである可能性が高い(ただ、国は因果関係を認めようとしないだろう)。
 そのような状況であるにもかかわらず、 放射能で汚染された瓦礫を全国の自治体に引き受けさせようとしている日本政府の考え方が理解できない。 どうして瓦礫を分かち合うことが「絆」になるのか? 順序が全く逆である。危険物質は一箇所に集めて住民を避難させるべきであろう。 全国の自治体が瓦礫を引き受けるようになれば、日本全体に放射能汚染が広がることを意味する。 これは究極的に日本人の滅亡を意味する。 

 福井県にあるいくつかの原発のうちひとつでも壊れたら、西日本はあっという間に崩壊する。特に風向きを考えれば、12ヶ月のうち10ヶ月は福井県側から滋賀県、そして岐阜県、愛知県へと流れる風向きだ。60ー90分で放射性物質は福井県から一気に岐阜県に到達する。ちなみに、福井県の原発は、活断層の上に建てられている。 

 また、静岡県の浜岡原発が地震で崩壊したら、、、。 4号建屋で爆発が起きたら、、、。 将来、いや、極めて近い将来に、これらのどれか一つでも起きたら、、、。
考えるだに恐ろしいことであるが、  このどれが起きても、日本は滅亡するのである。
 私はこんなことで滅亡させられるのはまっぴらごめんである。
本来ならばせめて一太刀浴びせて一矢を報いて死んでいきたいが、いかんせん、相手は世界を支配する闇世界だ。所詮自分一人では如何ともし難い。
だから、まずは他国に住む場所を探すのである。
生きてさえいれば、浮かぶ瀬もあるというではないか。
(※だが、正直言って、何が本当の情報なのか判別が付かないでいる。ただ、何かを隠して大きな何かが行なわれようとしていることはひしひしと感じるのだ。)

 財政破綻は目前か

  ユーロが危ないと言われ続けて一年経過した。その結果は、一向に改善されないどころか、ますます危ない状況になっている。ギリシャ(事実上破綻していると言ってもよい)だけではなく、スペイン、イタリア、ポルトガルも破綻に向かっている。
 これらの動きが日本に影響を及ぼさない訳がない。実は日本はギリシャ同様に厳しい状況かもしれないのである。

 この日本という国の財政は、簡単にいうとどういう状況なのかを知っておく必要がある。 わかりやすく個人の家庭に例えてみると、 月収40万円の人が、必要経費で77万円が出て行く。つまり、毎月37万円の赤字で、さらに6,000万円の借金があるという家庭を想像すれば、その行先にどのような結末が待っているか想像がつくだろう。
毎月毎月37万円の赤字を出し続けていけるだろうか?赤字は増え続けるのだ。 華やかにV字型で復活することはあり得ない。ほぼ間違いなく、自己破産が待っている。 これが日本である。
 私たちの預金はどうなるか? 国内銀行、生損保業界、郵貯銀行、そして年金運用は日本国債を買っている。日本の破綻前には長期金利が上がる。国債の値が下がるということである。長期金利が上がれば利払い金額が上がる。これは国の借金が増えるということである。当然返せるはずがない。
 破綻したら、日本の国債を購入している上記の銀行以下はほぼ全滅する。
自分の預貯金は銀行が預金封鎖をしてしまうので引き出せない。 もちろん将来の年金はもらえない。終身保険や養老保険のような貯蓄性のある生命保険は保険金が減額される。
だから、住む場所を変えるだけではなく、資産も移動させなければならないのである。


私自身の中の変化

 実はこれが一番の要因かもしれない。
ここでは書けないが、長らく張りつめていたものが切れてしまったのがちょうど3年前。
その前に、今から8年前になるか、会社を辞めて実父の看病介護を経験した。そのあと実父の死を間近で見てから、なんというか、何かが無くなった感じがした。


    喪失感と無力感.......


 仕事に復帰(別の会社に)しても、それまでのような覇気が出ない。あの働いていた時のような猛烈な意欲がとんと湧かなくなってしまった。蝉の抜け殻のようになってしまった。


そして、ある日の朝、体が動かなくなっていた

おそらく上記の3),4)は、ただの理由付けに過ぎない。後付けの理由で、本当は5)なのだけれども、それは言葉で上手く書き表すことができないでいる。

 何だろうか、とにかく日本にいては、危ない、何か起きるという危機感と、
自分の中でせき立てられる何かが重なって、移住したいという願望が強くなってきたことは確かである。それを表すのに適切な言葉が見つからない。

 これは逃避願望なのかもしれないが、自分ではわからない。